20歳の時に事故で右手と両足を失った山田千紘さん(30)は、1人暮らしで日常生活を送っている。朝は当然、左手1本ですべての支度を整える毎日。4時半に起床し、6時には家を出て仕事をしている。「朝は時間に余裕を持つようにしている」という。
こうした朝の生活をするようになった背景には、手足が3本ないその体がある。「悔しい思いをしたから奮起した」という山田さん。どのように朝を過ごしているのか。その理由は。本人が語った。
【連載】山田千紘の「プラスを数える」~手足3本失った僕が気づいたこと~ (この連載では、身体障害の当事者である山田千紘さんが社会や日常の中で気づいたことなどを、自身の視点から述べています。)
朝食は弁当の余りやおにぎりなど
「左手1本でどうやって生活しているの?」。1人暮らしをしていますが、YouTubeやSNSで情報発信していると、たまに聞かれます。確かに、気になるかもしれません。
家の中では車いす、外出時は義足を履きます。週5日フルタイムで働くサラリーマンで、航空関連会社に勤めています。新型コロナウイルスの影響でテレワークの日もありますが、電車に乗って出社もします。
起床は4時半くらい。遅くても5時です。汗っかきで寝汗がすごいので、朝起きたらまずシャワーを浴びます。天気が良い日は洗濯機を回し、シャワーを出たら弁当の用意をします。弁当が出来上がる頃に洗濯が終わるので干します。
朝食は弁当を作りながら余った物で食べたり、おにぎりを作って会社に持っていき、着いてから食べたりします。米は5合くらいまとめて炊いて、冷凍でストックしておくので、おにぎりは手早くできます。3食のうち昼食に重きを置いているので、朝は軽くてもいいです。だから朝食なしの日もあります。時間との兼ね合いで選びます。
一番時間をとるのが身支度、義足とズボンを履くまで
朝、一番時間をとるのが身支度です。15分くらいかかります。昔は30分かかっていたので、だいぶ慣れました。義足を履き、スーツを着ます。忙しくて間に合わなかったら、ネクタイは電車に乗ってから締めます。
大変なのは義足とズボンです。膝がある右足につけるのは、短めの下腿義足というもので、先に義足に靴だけ履かせます。膝がない左足は大腿義足という長くて太いもの。こちらは義足にズボン、靴の順で履かせます。それから両足の付け根に、「ライナー」という靴下のような物をつけます。
義足は、ズボンをまだ履いていない右足の義足を装着し、立ち上がってから、ズボンを履かせた左足の義足を装着します。その後、右足の義足を一度外し、ズボンを履かせた上で装着し直します。詳しくはYouTubeの動画で紹介しているのでそちらをどうぞ。
足が太りすぎると義足が入らなくなります。前日寝る前にたくさん食べてしまうと、翌朝むくんで大変です。だから体重や食事の管理には気を付けないといけません。
仕事は7時からで、会社にはゆとりを持って6時40分頃着くようにしています。夕方から夜の時間を仕事以外のことで充実させたいので、フレックスタイム制を活用し、早めの出勤に変えました。YouTubeで5月、モーニングルーティンをまとめた動画を公開しましたが、今はそれより1時間半ほど出社時刻を早めているので、起きるのも早くなっています。6時前後に家を出るので、逆算すると4時半に起きないと間に合いません。
みんなができるような時間短縮ができない
僕はみんなができるような時間短縮ができません。手足がある人だったら、急いでいる時は走ったり、駅に向かいながらジャケットを着たりすることもできます。でも僕は走れません。歩きながら別のこともできません。寝坊したら、時間を取り返すのは難しいです。
事故の後、22歳で働き出して、その3年後に今の会社へ転職しました。20代前半の頃、朝はもっと遅かったです。出勤の道中、青信号に間に合うよう周りの人が走って渡っていきます。それを横目に僕は信号に間に合わなくて、時間をロスし、電車に乗り遅れる。そんなことが何度かありました。
駅では、階段の上り下りはできますが、どうしても時間がかかってしまうのでエレベーターを使います。エレベーターをタッチの差で逃し、戻ってくるまでに2分くらいかかったこともあります。その時も電車を逃し、会社に遅刻しそうになりました。
そんな経験が悔しかったから、朝は時間に余裕を持つようになりました。だから起きるのが早くなりました。この体だから、規律を持って生活する必要があったんです。
僕自身は行動に時間がかかるけど、「1日24時間はみんな平等」です。それに気づいた時、この体を言い訳にはできないと思いました。「手足が3本ないから遅刻しやすいです」というのは、僕にとって言い訳でしかない。だから、生活を組み立てました。
悔しい思いをしたから、もうこんな思いをしたくないと奮起しました。最初から規則正しい生活ができていたわけではありません。失敗から学び、工夫して変えていった結果、今のような生活ができるようになりました。
(構成:J-CASTニュース編集部 青木正典)