アジアとヨーロッパの境目、黒海沿岸の国ジョージアは、日本のネットユーザーからちょっと変わった点で注目される国だ。ジョージアの民族衣装が、まるでSF映画のように格好いいと、定期的にネットユーザーの視線を浴びるのである。
これは「チョハ」と言う民族衣装で、ジョージアの文化に根ざす民族衣装として現代のジョージア国民にも親しまれている。自らもチョハを着こなすティムラズ・レジャバ駐日臨時大使やジョージア本国への取材でルーツを探った。
令和の即位礼でも注目
ジョージアは1991年4月に旧ソ連より独立を宣言。黒海とカスピ海に挟まれ、北に行けばロシア、南下すればトルコ・イランに通じるこの地は1000年以上にわたって多くの民族が行き交い興亡を繰り広げ、近代には帝政ロシアそしてソ連の統治下にあった。
ティムラズ・レジャバ駐日臨時大使はこう話す。
「ジョージアは歴史上戦乱に多く見舞われた地でもありました。そのため、戦いに備えた民族の伝統がチョハに反映されています。胸の装飾はかつては銃の弾薬を携帯するためのもので、ベルトには剣を吊るしていました。靴は長靴を合わせるのが正装ですが、いずれも騎馬民族の名残です。現在ジョージアでは伝統を受け継いだ民族舞踊や、祝祭などハレの場で着用されています」
特徴的な胸の装飾は「ガズィリ」といい、大使の言うようにかつては銃の弾薬を携帯するために付けられていたとされる。ジョージアの歴史に根ざす独特のデザインは、日本ではマンガ・アニメ・ゲームのファンに人気だ。2019年10月22日の天皇陛下の即位礼正殿の儀ではレジャバ臨時大使がチョハを着用して参列、この時も話題となった。このような日本での反響の多さは、レジャバ臨時大使にとっても意外だった。
「チョハを着てみたい!と思ってくれる人がこれだけいるのも日本だけだと思います。コスプレの文化もありますし、着てみて違う人になってみたい!という文化が定着しているようです。日常と違う装いになってみることで異世界・異文化を感じたい、そのような想像力を日本の皆さんは持っているようです」
温暖な気候のジョージアの名産はレジャバ臨時大使もアピールするワインだが、チョハも日本人の間で徐々に認知されつつある。大使館では日本人向けにチョハの貸し出しを行っており、事前連絡で遠方にも貸し出せるとのことだ。
軍装・日常着からより華やかに
チョハについてさらに詳しく調べるべく、在日ジョージア大使館を経由してジョージアで民族衣装を製作しているブランドの1つ、「Samoseli Pirveli(サモセリ ピルヴェリ」に由来を取材した。同ブランドによると、現在に近いスタイルのチョハが定着したのは17~18世紀頃だという。当時「チョハ」の語が既に文書に現れていた。ガズィリも銃弾と火薬を一つにした薬包が用いられた18世紀頃にはチョハに付くようになった。
「地域や大きさ、装束のデザイン、さらにはガズィリの数にいたるまで細かなに違いがあります。チョハは通常、黒・茶・青・グレーなどで染められた毛織物を使い、冬用ともなればより厚手の生地を用います。ラクダの毛の生地は薄く柔らかく若者が着るにもぴったりです」
結婚式で用いられる白のチョハともなれば最高級の布地を使う。またジョージア国内でも文化や気候の影響で地域差があり、黒海沿岸にあたるジョージア西部では文化・気候の影響で東部より丈の長いチョハが用いられてきた。
一方、ジョージア東部ではチョハはより自由な様式となったそうだ。身体にしっかりフィットするものではなく、前を開いた状態でも着用され、ボタンもホックもない。
胸のガズィリには、かつて携帯していた弾薬入れに由来するアクセサリーを差し込むのがフォーマルな着方だ
かつては本当に弾薬が込められていたが、その後アクセサリーとしてチョハを飾るパーツとなった。装飾として目立たせるために職人の技巧が凝らされ、象牙や動物の角、銀、黒玉(こくぎょく)などの高価な素材が使われたそうだ。
抑圧のソ連時代を経て
数百年の歴史を経て今に至るチョハだが、ソ連時代には着用を厳しく制限されたこともあった。
「ソ連統治時代に民族の伝統的な装束、特にチョハは着用を禁ぜられていました。ゆえに当時チョハを着ることはほとんどなく、忘れられていました。しかし、だからこそ今私達は博物館や、家庭や地域で民族の装束について多くのことを学ばなければならないのです」(前出Samoseli Pirveli)
現在ジョージアでは、チョハは祭事や民族舞踊で欠かせない衣装となり、この地の歴史を伝えるものになっている。
文明の十字路・カフカスは島国の日本には縁遠いが、だからこそチョハは日本人には斬新で格好よく見える。見栄えのするデザインに加え、この衣装の歴史とそれをはぐくんだジョージアの文化にも興味を持ってみたくなる。
(J-CASTニュース編集部 大宮高史)