軍装・日常着からより華やかに
チョハについてさらに詳しく調べるべく、在日ジョージア大使館を経由してジョージアで民族衣装を製作しているブランドの1つ、「Samoseli Pirveli(サモセリ ピルヴェリ」に由来を取材した。同ブランドによると、現在に近いスタイルのチョハが定着したのは17~18世紀頃だという。当時「チョハ」の語が既に文書に現れていた。ガズィリも銃弾と火薬を一つにした薬包が用いられた18世紀頃にはチョハに付くようになった。
「地域や大きさ、装束のデザイン、さらにはガズィリの数にいたるまで細かなに違いがあります。チョハは通常、黒・茶・青・グレーなどで染められた毛織物を使い、冬用ともなればより厚手の生地を用います。ラクダの毛の生地は薄く柔らかく若者が着るにもぴったりです」
結婚式で用いられる白のチョハともなれば最高級の布地を使う。またジョージア国内でも文化や気候の影響で地域差があり、黒海沿岸にあたるジョージア西部では文化・気候の影響で東部より丈の長いチョハが用いられてきた。
一方、ジョージア東部ではチョハはより自由な様式となったそうだ。身体にしっかりフィットするものではなく、前を開いた状態でも着用され、ボタンもホックもない。
胸のガズィリには、かつて携帯していた弾薬入れに由来するアクセサリーを差し込むのがフォーマルな着方だ
かつては本当に弾薬が込められていたが、その後アクセサリーとしてチョハを飾るパーツとなった。装飾として目立たせるために職人の技巧が凝らされ、象牙や動物の角、銀、黒玉(こくぎょく)などの高価な素材が使われたそうだ。