2021年11月9日に亡くなった瀬戸内寂聴さんの大きな特徴は、世間から指弾されているような人にも目配りを続けたことだった。
戦前の無政府主義者に光を当てた『美は乱調にあり』などの作品群だけでなく、実生活でも、早くからそうした姿勢を貫いた。一方で幅広い交友でも知られ、各種メディアを通じた大衆的な人気では、作家の中で群を抜いていた。信念とユーモア、あけっぴろげな人間味が同居した稀有な人だった。
「恐怖の裁判」を告発
作家生活の初期に力を入れたのは、「徳島ラジオ商殺し」の犯人とされた富士茂子さんの救援活動だった。53年、徳島市でラジオ商の男性が殺され、内妻の富士さんが逮捕される。無実を訴えたが、有罪になり服役、再審請求中に死去した。
検察側証人が偽証を告白し、真犯人を名乗る人物が自首したにもかかわらず、判決が覆らない異例の事件だった。
瀬戸内さんは60年、「婦人公論」2月号に「恐怖の裁判」という題で事件を詳しく書いた。5年後には同誌に「富士茂子の獄中の手紙」を発表する。地元出身の有名作家が、捜査のズサンさを告発し続けたことで、事件への関心は高まった。富士さんの遺族が再審を請求し、85年、ついに無罪判決。死後再審の初のケースとなった。
連合赤軍事件の永田洋子死刑囚とも往復書簡『愛と命の淵に』という共著を出版している。あるとき永田死刑囚から、瀬戸内さんの著書への感想文が届き、文通が始まった。何度か面会し、裁判では証言台にも立った。永田死刑囚が2011年に病死後、「婦人公論」で、「出家者として、誰もが非難するあなたを放っておけなかった」との思いを公表している。
連続射殺魔の永山則夫元死刑囚(1997年死刑執行)ともやりとりを続けていた。大麻などで何度も事件を起こした俳優の萩原健一さんとも親身につき合い、共著で『不良のススメ』を出している。STAP細胞の小保方晴子さんとも雑誌で対談している。
冤罪事件に深く関わったこともあり、死刑には強く反対する立場。日本弁護士連合会(日弁連)が2016年10月6日、福井市内で開いた死刑廃止に関するシンポジウムに、「殺したがるばかどもと戦ってください」というビデオメッセージを寄せ、物議をかもしたこともあった。
立場の違う論者とも共著
瀬戸内さんのもう一つの特徴は「幅の広さ」。日経新聞で長期連載したエッセイ「奇縁まんだら」には実に136人もの著名人が登場する。先輩、同輩の作家はもちろん、田中角栄、美空ひばり、淡谷のり子、ミヤコ蝶々、勝新太郎など多彩だ。
そうした交友の広さをさらに裏打ちするのが「共著」の多さだ。タッグを組んだのは梅原猛、五木寛之、加藤唐九郎、水上勉、永六輔、稲盛和夫、荒木経惟、安藤忠雄、日野原重明、山田詠美、玄侑宗久、鶴見俊輔、ドナルド・キーン、平野啓一郎、美輪明宏、田辺聖子、さだまさし、藤原新也・・・。
空襲で母と祖父が焼死したこともあり、筋金入りの護憲派だが、櫻井よしこ、石原慎太郎ら立場の違う論者とも共著を出している。出家したときの導師、作家の今東光(中尊寺貫主)は自民党の参議院議員でもあった。
こうした奥行きの深さもあって、月1回、京都の寂庵で開かれる法話には毎回定員の数倍の申し込み。新聞社が無料で大きな講演会を企画すると、数万通の応募はがきが集まる。新聞、雑誌の連載はもとより、ラジオやテレビからもひっきりなしに声がかかり、当代の作家の中ではずば抜けた大衆性があった。
「あなたのためなら何でも書きます」
不倫・家出が発覚し、父親から、「お前は子を捨てた人でなし」と激しく糾弾され、勘当の宣告。「出家するとは生きながら死ぬこと」「出家とはすべてを捨離することである」と心得て、「忘己利他」の精神で生きようとした。
だが、瀬戸内さんのユニークさは、出家してもなお俗世との縁が切れていないように見えたことだった。畢生の大作『現代語訳「源氏物語」全10巻』に取り組んだときは、書斎の壁に、自身の「歴代の男」の写真を飾っていたという。深い関係にあった男性作家の娘が女性誌の編集者になったときは、頼まれてその雑誌にエッセイを連載した。「あなたのためなら何でも書きます」と言って。(「週刊朝日」2017年3月3日号、林真理子さんとの対談による)。
自らの過去に、いわば大きなバッテンをつけ、潔い後半生を選択したはずだが、けっして世捨て人になり、隠遁したわけではなかった。
常人には測りがたい茶目っ気、おおらかさ。捨て身になったのに、なお煩悩と背中合わせ。そんな破天荒な「人間力」に多くの人が引き寄せられ、有名人の中にも寂聴ファンが多かった。