白土三平さんに影響与えた「反骨の父」 「小林多喜二像」描いたプロレタリア画家

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幅広い読書と「弾圧」の記憶

   長編大作が多かった白土さんは、かなりの読書家だった。『白土三平伝』によると、『忍者武芸帳 影丸伝』を執筆するときは、バルザックの『農民』やショーロホフの『静かなるドン』、トルストイの作品などを読んでいた。「影丸」像は、ロシアの画家が描いた17世紀の抵抗運動家、ステンカ(スチェパン)・ラージンの風貌を念頭に置いた。

   70年代半ばから、アメリカの先住民やギリシャ神話を題材にした作品を発表しているが、文化人類学やフロイトの心理学の知識を取り入れている。

   晩年、最近読んで面白かった本として、マルキシズムと国粋主義の相克を描いた『天皇と東大』(立花隆著)、毛沢東の赤裸々な評伝『マオ』(ユン・チアン著)、資本や国家の起源に迫った『世界共和国へ』(柄谷行人著)などを挙げている。

   『白土三平伝』の著者で、長年、白土さんと深く付き合ってきたライターの毛利甚八さんは、プロレタリア画家・岡本唐貴の子として育って蓄積された教養が、白土マンガには惜し気もなく投入されていたと見る。加えて父の「弾圧に耐えた実体験」も。

「『忍者武芸帳 影丸伝』を描いていた二十代の白土三平の脳裏には、父・唐貴と画家仲間たちが警察の目を逃れながら生き延びていくありさまが繰り返しよみがえってきたに違いない」(『白土三平伝』)

   2016年に開かれた「没後30年・岡本唐貴展」では、個人所蔵家から倉敷市立美術館に寄贈された岡本作品が多数公開された。「小林多喜二像」など、その多くの作品の寄贈者として「岡本登」の名が記されている。これは、白土さんの本名だ。自分に様々な影響を与えた父の作品を長年大事に保管していたことがうかがえた。

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