白土三平さんに影響与えた「反骨の父」 「小林多喜二像」描いたプロレタリア画家

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「血のメーデー事件」に参加

   白土さんの家にはしばしば、父の仲間が出入りしていた。底辺社会を転々とする中で在日朝鮮人や、被差別の人々とも知り合った。父に代わって、子供のころから大人に交じり、農作業や山仕事、狩猟の下働きなどもした。白土作品に登場する民衆群像の多くは、実際に白土さんが少年時代に触れ合った人々を原型としている。「白土は、子供の頃に見た冷酷な社会の姿や飢えの感覚を決して忘れなかった」(『白土三平伝』、小学館)

   家には様々な画集があり、「絵」は常に身近だった。画家を志した時期もあったようだが、「食うため」に紙芝居や貸本漫画の世界に入る。

   『白土三平伝』によると、左翼シンパだった白土さんは、21歳になったばかりのころ、練馬の日雇い労働者グループとともに「血のメーデー事件」(52年)に参加している。デモ隊に警官が発砲、目の前で死者が出た。一時は共産党への入党を考えたこともあったが、父は、「政治と芸術は別だ」と諭したという。自身の戦前・戦後の、長い経験を踏まえたアドバイスだった。

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