矢野康治財務次官による雑誌「文藝春秋」2021年11月号への寄稿について、鈴木俊一財務相は10月8日の記者会見で、「個人的な思いをつづったと書いてある。中身は問題だと思わない」と説明した。麻生太郎前財務相からは了解を得ているという。
岸田文雄首相は、10日のフジテレビ番組で、「いろんな議論はあっていいが、いったん方向が決まったら関係者はしっかりと協力してもらわなければならない」と述べ、釘を刺した。
高市早苗政調会長は、10日のNHK番組で「大変失礼な言い方だ」と不快感を示した。安倍晋三前首相は「あの論文は間違っている」と明快だ。
経済同友会の櫻田謙悟代表幹事は「書いてあることは事実だ。100%賛成する」と擁護した。
筆者は、誰でも意見を述べるのは自由だが、その前提が間違っていたら話にならないという立場だ。
データで示しているのは、一般会計収支の不均衡と債務残高の大きさだけ
まず会計学から。矢野氏は、財政が危機であるとして、データで示しているのは「ワニの口」と称して一般会計収支の不均衡と債務残高の大きさだけだ。
すべての政府関係予算が含まれている包括的な財務諸表は小泉政権以降毎年公表されている。この財務諸表は、しっかりした会計基準でグループ決算が示されているが、それからみれば、矢野氏の財政データは、会社の一部門の収支とバランスシートの右側の負債だけしかない欠陥ものだ。
ただし、今財務省が公表している連結ベースの財務諸表には、日本銀行が含まれていない。日銀は、金融政策では政府から独立しているが、会計的には連結対象なので、財務分析では連結すべきものだ。日銀を連結したのは、資産1500兆円、負債は国債1500兆円と銀行券500兆円だ。銀行券が無利子無償還なので形式負債だが実質負債でないので、日本の財政が危機でない。
問題は手続き以前に内容
次に金融工学からも問題がある。直近の日本国債の5年CDSは0.00188%なので、大学院レベルの金融工学知識を使えば、日本の5年以内の破綻確率は1%にも満たないのがわかる。これは、バランスシートからの破綻の考察とも整合的だ。矢野氏が、日本財政が破綻するおそれがあるというのは、降水確率0%の予報のとき、今日は台風が来るので外出は控えろというのと同じくらい、筆者には滑稽だ。
本件について、マスコミを含めほとんどの人は、内容のおかしさを指摘せずに、手続きばかりをいうが、どうなのか。問題は手続き以前に内容だ。会計学と金融工学の知識があれば、全くの間違いを財務省事務方トップの事務次官が平然といっているほうがはるかに問題だ。逆にいえば、多くの人は会計学と金融工学の知識もなしも、財政問題で意見がいえると思っているのだろうか。
本件は、そうした基本知識のない人が財務省事務方のトップになっていることを世間に知らしめた。矢野事務次官の寄稿に対する各人の意見は、そのまま会計学と金融工学の基礎知識があるかどうかのリトマス紙になっている。
++ 高橋洋一プロフィール
高橋洋一(たかはし よういち) 元内閣官房参与、元内閣参事官、現「政策工房」会長
1955年生まれ。80年に大蔵省に入省、2006年からは内閣参事官も務めた。07年、いわゆる「埋蔵金」を指摘し注目された。08年に退官。10年から嘉悦大学教授。20年から内閣官房参与(経済・財政政策担当)。21年に辞職。著書に「さらば財務省!」(講談社)、「国民はこうして騙される」(徳間書店)、「マスコミと官僚の『無知』と『悪意』」(産経新聞出版)など。