パッキャオが貫いた「負けの美学」 6階級制覇より凄い?専門家が語った「本当の功績」とは

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   ボクシングの元世界6階級制覇王者マニー・パッキャオ(42)=フィリピン=が現役引退を表明した。

   95年のプロデビュー以来、数々の名勝負を繰り広げてきたフィリピンのレジェンドは2021年9月29日にツイッターを更新し「世界最高のファンと最高のスポーツに感謝します!素晴らしい思い出をありがとうございました」とメッセージを送り、「さようならボクシング」とのコメントで締めくくった。

  • マニー・パッキャオ選手(写真:AFP/アフロ)
    マニー・パッキャオ選手(写真:AFP/アフロ)
  • マニー・パッキャオ選手(写真:AFP/アフロ)

プロデビュー戦は48.9キロ

   パッキャオはフィリピンのミンダナオ島で6人兄弟の4男として産声を上げた。家庭は経済的に厳しい状態にあり、幼いころから家計を助けるために路上でパンや野菜、花などを売っていた。

   12歳でボクシングを始めた動機は金を稼ぐことだった。草試合に出場すれば勝っても負けても「ファイトマネー」が約束された。勝者には約2ドル、敗者にはその半額が支払われたという。

   中等学校を中退したパッキャオは14歳の時に首都マニラに出稼ぎに行き、建設業に携わりながら本格的にボクシングを始めた。その後、着実に力を付けていきアマチュアのフィリピンナショナルチームに入るまで成長した。

   アマチュアで経験を積み95年1月にプロデビューを果たした。16歳になったばかりだった。階級はライトフライ級(48.9キロ)だった。この少年が15年後に20キロ以上も上のスーパーウエルター級(69.8キロ)を制することを誰が想像できただろう。

98年5月に東京・後楽園ホールでノンタイトル戦

   98年12月にWBC世界フライ級王座(50.8キロ)を獲得してからスーパーバンタム級(55.3キロ)、スーパーフェザー級(58.9キロ)、ライト級(61.2キロ)、ウエルター級(66.6キロ)、スーパーウエルター級(69.8キロ)を制した。世界6階級制覇はオスカー・デラホーヤ(米国)に次ぐ史上2人目の偉業だ。

   プロキャリアは72戦に及び、そのほとんどが母国フィリピンと米国のリングだったが、過去に1度だけ日本のリングに上がったことがある。98年5月、当時東洋太平洋フライ級王者だったパッキャオは東京・後楽園ホールでノンタイトル戦を行った。

   この興行を主催したのは協栄ジムだった。先代会長の故金平正紀氏がパッキャオを招へいした。当時19歳のパッキャオは世界タイトルを獲得する前で世界的には無名選手だった。J-CASTニュース編集部は、トレーナーとしてこの興行に携わった金平桂一郎氏(現協栄ジム会長)に取材し、パッキャオにまつわるエピソードを聞いた。

「パッキャオは当時まだ無名の選手でしたが、先代の会長にはパッキャオとマネジメント契約を結ぶ意向がありました。パッキャオの将来性を買ってのことだったと思います。日本での試合までにパッキャオとのマネジメント契約は実現しませんでしたが、その年(98年)の12月にパッキャオがフライ級の世界王座を獲得した後も話は続いていたと記憶しています」(金平氏)

もしパッキャオが協栄ジムと契約していたら...

   先代の金平正紀会長は98年の夏に大腸がんが発覚し、体調不良が続いたこともありその後、パッキャオとのマネジメント契約の話は消滅したという。正紀会長は99年3月に帰らぬ人となった。

   桂一郎氏は「もしパッキャオが協栄ジムとマネジメント契約をしていたら世界6階級制覇はなかったと思います」と語り、その理由について次のように言及した。

「パッキャオは減量苦のためフライ級から一気に3階級上のスーパーバンタム級にまで上げています。その後はスーパーウエルター級まで階級を上げていくわけですが、20年以上前の日本のジムに減量がきついから階級を3つ上げるなどの発想はありませんでした。おそらく会長やトレーナーが許さなかったと思います。そこで意見の対立があったかもしれませんし、パッキャオはアメリカに渡ったからこそ成功したと思います」

22年5月の大統領選への出馬を表明

   また、桂一郎氏はパッキャオには「負けの美学」があったと指摘した。03年以降は強敵との対戦が続き、連敗したこともあったがそのスタイルは常に好戦的で世界のボクシングファンを沸かせた。

「パッキャオの場合、試合で負けても選手としての価値が下がることがなかった。衝撃的なノックアウトシーンもありましたが、勇気をもって踏み込んだ結果だったり、負けた事実よりも試合内容が評価されることが多かったと思います。確かに6階級制覇は歴史的偉業ですが、制覇した階級の数ではなく、その階級ごとの一流王者にひるまず戦ってきたことに価値があると思います」

   パッキャオの生涯戦績は72戦68勝(39KO)8敗2分け。今年8月21日のヨルデニス・ウガス(キューバ)とのタイトル戦(判定負け)がラストファイトとなった。フィリピンの上院議員を務めているパッキャオは、22年5月に行われる大統領選への出馬を表明している。

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