サンバじゃないのに「マツケンサンバ」 歌謡曲の「謎タイトル」なぜ定着?その歴史を調べた

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定義よりも「祝祭感」を好む日本人

「戦前から戦後にかけて、サンバの発祥の地であるブラジルへ日本から大量の移民がありました。そして1973年の移民停止を経て1990年代の終わりころから多くの日系ブラジル人やその二世が日本へ永住帰国をするようになります。このことも日本でサンバが定着した理由のひとつにあると考えられます。
また、高度経済成長期を過ぎかつては娯楽の中心地だった浅草が古臭い場所とされて活気を失い始めます。それを危惧した俳優の伴淳三郎が、神戸市の神戸まつりで行われていたサンバパレードをヒントにして、浅草でのサンバカーニバルを発案します(第1回が1981年)。非常に祝祭感の強いサンバ音楽とパレードのビジュアルは、お祭り好きな日本人の民族性とも相性が良かったのではないでしょうか」(とみさわさん)

   ハシノさんもカーニバルの影響について

「昭和の日本人の多くはサンバというとリオのカーニバルを連想し、おもに視覚的な情報として認識していたと思います。そこから、サンバといえばお祭り騒ぎや陽気なカーニバルといったイメージが定着し、その反面、音楽的な要素は重視されなかったのではないでしょうか。
サンバの音楽的特徴は日本人には難しく、また昭和の時代の日本語のメロディーに乗せにくかったため、サンバの実際のリズムを取り入れるのではなく、イメージだけを取り入れることになったと考えます」

と話す。

   実際のサンバにはローテンポな曲もあるのだが、厳密なサンバでなくてもラテン的でお祭り感・祝祭感のある曲を「サンバ」として楽しんできた面があるのなら、「マツケンサンバ」はその極致といえよう。

   無観客となったオリンピック・パラリンピックの開閉会式だが、「マツケンサンバⅡ」待望論の裏には、サンバと五輪に祝祭感を求める日本人の認識が後押ししたとも考えられる。

    「そもそも、日本の『歌謡曲』というジャンルは、特定の音楽ジャンルを表したものではなく、マンボ、ルンバ、チャチャチャ、サンバ、ロック、ディスコ、テクノなど、その時代ごとの流行音楽を節操なく取り入れることがアイデンティティになっています。そう思えば、サンバじゃないのにタイトルが『○○サンバ』となっていることなど、大した問題ではないのでしょう」ととみさわさんも指摘するように、「マツケンサンバ」のオールジャンルぶりも日本独自のカルチャーとして愛好すべき文化かもしれない。

(J-CASTニュース編集部 大宮高史)

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