鬼になった人間の業の哀しさ
鼓屋敷編では鬼側の内面描写にも力が込められている。響凱の過去が描かれ、かつて作家を志していたことがわかる。当時他人に作品を酷評された響凱の屈折は、鼓屋敷の戦いの終結の場面でカタルシスをもたらす。
それまでに炭治郎が対峙した鬼はこのような描写に乏しかった。例えば浅草編に登場する「沼鬼」は少女ばかりを喰らう快楽殺人者のようだったが、響凱の過去には視聴者も多少の同情を誘われる。鼓屋敷編以後、人間だった過去を深く描かれた鬼も増えていき、彼らの「業」についても考えさせられる。それは遊郭編で敵となって登場するだろう堕姫(だき)と妓夫太郎(ぎゅうたろう)にも通じる。
序盤の事件ながら「鼓屋敷編」には、鬼殺隊と鬼の戦いのスケールが次第に大きくなっていく予感を感じさせる。実際に続く「那田蜘蛛山編」ではさらに大規模な戦闘が展開されていく。
(J-CASTニュース編集部 大宮高史)