日本にも問われる覚悟
今後、日本はどうアフガンにかかわるべきなのか。最後に川端さんにその点を尋ねた。
「日本では相変わらず、『そもそも他国の紛争に関わるべきではない』などという、『それ見たことか』的な孤立主義が首をもたげているようです。あたかも日本は、タリバンがそうであるように、『世界と関わらないでも生きていける』と信じ切っているようにすら見えます」
好むと好まざるにかかわらず、日本人は世界の中で生きていくしかなく、アフガニスタンで起こっていることは、いずれ日本にも影響を及ぼす。そうだとしたら、ただ人道支援や資金援助の中に逃げ込むのではなく、少なくともアフガン問題の政治的・外交的解決を模索し続けるべきではないか、と川端さんはいう。
とりわけ重要なのは、女性を含む人権の擁護と国際テロの防止だ。「日本は、軍事的な関与が無理だとしても、紛争の政治的解決に協力すべきではないでしょうか」と川端さんはいう。
カンボジアやアフガン和平では、日本はそれぞれ東京で「復興支援会議」を開催して、財政的な国際支援の促進に貢献した。しかし、両紛争の和平を語るとき、パリ会議やボン会議を覚えている人はいても、東京会議を覚えている人はほとんどいないだろう。
アフガンの和平合意をまとめたブラヒミ特別代表は、当時の小和田恒・国連大使氏と関係が良く、一時期外務省は東京での和平会議開催に前向きだった。しかし、和平会議が01年秋まで伸びて小和田大使が離任してしまうと、日本政府の熱意は冷め、ドイツに成果を譲ることになった、と川端さんは振り返る。
「いつまでも、こうした消極姿勢を続けるべきではない。日本はアフガン情勢の推移を見守るだけではなく、米中ロに加え周辺国を招いて人権やテロに関する国際会議を東京で開催するなど、アフガニスタンを取り巻く国際世論の形成に貢献すべきではないか。迂遠かもしれないが、パキスタンのタリバン支援を弱めるために、その原因であるインドとのカシミール問題の解決の後押しにも尽力する道もあるでしょう」
川端さんに話を伺って、こう考えた。
「平和主義」は、紛争にかかわらないことでは達成されない。むしろ火中の栗を拾ってでも紛争拡大を防ぎ、平和に向かって他国を促す。復興や人道支援だけでなく、そうした積極的な「平和主義」に転換する覚悟が、日本に求められているのではないか。それは緒方貞子さんが提唱した「人間の安全保障」や、凶弾に倒れた医師中村哲さんが模索した道にも連なっているのではないだろうか、と。
ジャーナリスト 外岡秀俊
●外岡秀俊プロフィール
そとおか・ひでとし ジャーナリスト、北大公共政策大学院(HOPS)公共政策学研究センター上席研究員
1953年生まれ。東京大学法学部在学中に石川啄木をテーマにした『北帰行』(河出書房新社)で文藝賞を受賞。77年、朝日新聞社に入社、ニューヨーク特派員、編集委員、ヨーロッパ総局長などを経て、東京本社編集局長。同社を退職後は震災報道と沖縄報道を主な守備範囲として取材・執筆活動を展開。『地震と社会』『アジアへ』『傍観者からの手紙』(ともにみすず書房)『3・11複合被災』(岩波新書)、『震災と原発 国家の過ち』(朝日新書)などのジャーナリストとしての著書のほかに、中原清一郎のペンネームで小説『カノン』『人の昏れ方』(ともに河出書房新社)なども発表している。本連載の一部をまとめた『価値変容する世界』(朝日新聞出版)が21年9月に発行。