外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(44) タリバン政権のアフガンは再び震源地になるのか

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予想を上回る政権瓦解の速さ

   今回のタリバンによる政権奪取について、川端さんは、「予想を上回る速さだった」と率直に感想を語った。

「ガニ政権は、1、2年はタリバンの攻勢に持ちこたえるだろうと考えていた。あわよくば、そのまま持ちこたえるかもしれない、という願望も抱いていた」

   国軍・警察は総勢約30万人。数十機のヘリを備えるなど、装備面でもタリバンを上回っている。まさかこれほど早く、国軍が戦闘意欲をなくし、タリバンに屈するとは予想しなかったという。そのうえで、今回の政権崩壊について川端さんは、「国民軍創設の失敗」と「国民意識醸成の失敗」の二つが大きな原因だったという。

   「国民軍創設の失敗」について川端さんは、8月21日付「ウェブ論座」に論考を寄せて次のように指摘した。

「アフガン国軍が機能しなかった最大の原因は、カブール政府や国際社会が、民族や宗派を超えた国民軍の創設に失敗したことにある。国民を守る精強な軍隊の育成と、国民を代表する民主国家の樹立は、どちらが欠けても成り立たない表裏一体の関係にある」

   2001年のアフガン戦争後、国連はブラヒミ特別代表らをボンに派遣し、諸派による和平交渉にあたらせた。国連政務官の川端さんはブラヒミと共に、同年末に「ボン合意」をまとめ、諸派が合意した。これが、その後の20年にわたって「民主国家アフガン」を支える礎石になった。

   だが国連の構想は最初から躓くことになった。米国が国際治安支援部隊(ISAF)の全土展開への協力を拒んだため、国際社会は和平合意の前提である全国的な治安の回復と安定を果たせなかった。結果としてカブール政府は、タリバンの影響が残る東部や南部で十分に選挙を実施できず、民族や宗派を超えたすべてのアフガン国民による近代国民国家の礎を築けなかった、という。

   こうして、全国的な治安の安定と民主化の浸透を果たせないまま、国際社会は国軍や警察などの再編と訓練に着手した。最初に国軍の再編を担当したのは 英国だった。英国部隊は、部族間のバランスを考慮しつつ、一個大隊に相当する約6百人の将兵候補者を各地から募り、3か月の訓練をした。訓練を終えた部隊は、タジク族出身のファヒム国防相率いる国軍に編入され、大統領官邸など首都の要所の警備を任された。

   その後、米軍が英軍から任務を引き継ぎ、仏など他の国連加盟国と国軍の再編と訓練を 支援した。

   米軍は02年に国連に対し、8万人規模のアフガン国軍を再建する青写真を示した。だがその内容は、武器の使用法や部隊の運用など、軍人としての最低限の基礎訓練にとどまり、その場しのぎの対応だった。国軍は兵力30万人規模まで成長し、ヘリや装甲車、暗視スコープなどの最新装備も与えられた。だが国連の目から見ると、米軍の計画には、新政府を支えるためにどのような任務と機能を持つ国軍を育てるかなど、和平プロセスと一体化した考えは見当たらなかった。

   このため、国軍は、タリバン政権崩壊後に残った唯一の武装勢力・タジク人部隊の強い影響下に置かれた。これに反発するパシュトゥン族など他民族の兵士の脱走が相次ぎ、民族・宗派などで線引きされる軍閥時代の党派的な意識から脱却できないままに終わったという。加えて、国軍では武器の横流しや給料の遅配、天引きが横行し、部隊の統率や兵員の士気は低迷したままだったという。

   アフガン国軍は航空支援、情報収集や作戦立案から補給にいたるまで、広範な米軍支援なしには成り立たない部隊だった。

   米軍の完全撤退が決まると、独り立ちできない国軍は、たちまち劣悪な装備でゲリラ戦を挑む10万人足らずのタリバンに圧倒された。川端さんは、今回の事態は米軍の「撤退」というより、「敗走」に近いという。

「バイデン大統領が想定していたのは、カブール政府の緩やかな崩壊と、何らかの形の連合政権の樹立ではなかったかと思う。しかし、現実に起こったことは、撤退の発表直後から始まった雪崩を打つような政権崩壊と、その結果起こった外国人やアフガン協力者の国外脱出の大混乱だった。バイデン政権は図らずも、タリバンの完全勝利に道を開いたということになる」

   そうなったのは、期限の設定や退去の保障の不在など撤退プランの不備、米軍に依存するアフガン国軍の実力の過大評価、米国の「敗走」が同盟国や国内に与える影響の過小評価など、見通しの甘さと情報分析の誤りが原因だったろうという。バイデン政権は、今後もその責任を問われ続けることになる。

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