民間人の退避を残す失敗
クラウゼビッツは「戦争論」で、戦争における「追撃」の重要性と、その裏を返すかたちで「撤退戦」の難しさを強調している。一進一退の膠着状態でははっきりしなかった勝敗が、追撃と撤退のプロセスで一挙に表面化するという指摘だ。それゆえ、相手に打撃を与えるために、追撃の手を緩めてはならないし、撤退する側は、最後尾を守る「殿(しんがり)」が奮闘し、打撃を最小限に収める必要があるという。この点一つをとっても、今回の米軍の撤退作戦は失敗と言わざるを得ない。米軍の主力を段階的に撤収させながら、民間人の退避を積み残すことなど、1975年のサイゴン陥落を除けば、過去の米軍の歴史にはありえなかったろう。
もちろん19世紀に書かれた「戦争論」がそのまま現代に通用するわけではない。軍事力が勝敗を決めた過去の戦争は、2度の大戦を経て、大きく変容した。だが、そうした変化を考慮しても、今回の作戦の拙劣さは明らかだ。
まず必要とされたのは、米国とタリバンの明確な和平合意と、米軍撤退のスケジュール・条件に関する取り決めだ。トランプ政権はガニ政権の頭越しにタリバンと撤退交渉を行い、2020年2月に21年5月までの米軍撤収を柱とする合意に達した。バイデン政権は前政権の合意を引き継いだが、タリバンとの和平交渉が難航したため、こうした合意が成立する前に見切り発車で撤退を決めた。「9・11同時多発テロ」から20年という節目を念頭に、バイデン政権が「最長の戦争を終わらせる」という功を得ようと焦ったとしか思えない。
さらに必要だったのは、これまで「国造り」を共にになった北大西洋条約機構(NATO)加盟諸国や巨額の復興支援を行った日本との事前折衝だった。バイデン政権は、撤退の見合わせを説く同盟国の意見を振り切って撤退に固執した。もっといえば、アフガン情勢に影響力を持つ周辺大国、中国、ロシア、イランなどとの折衝も欠かせなかったろう。冷戦終結や冷戦後もしばらくは、米国も紛争拡大回避をめぐって、こうした国際枠組みを積極的に利用する余力があった。なりふり構わず「自国優先」を追求したトランプ政権に代わったバイデン政権が、「国際連携」を掲げていただけに、失望もまた大きかった。
つまり軍事・外交・国際政治のあらゆる側面で、今回の撤退作戦は「名誉ある」ものとは程遠く、いたずらに地域を不安定化させる失策だった。そのように、私は受け止めた。
私は1986年のソ連支配下のナジブラ政権時代、2001年の米軍・NATO軍によるアフガン戦争直後、そして08年秋の「民主政権」時代にアフガニスタンで取材をした。とはいえ、アフガンについての専門知識や認識は浅く、素人といっていい。この問題に深くかかわってきた川端さんに、今回の撤退の受け止め方を尋ねた。