飯塚幸三被告に「罪と向き合ってほしかった。それは叶わなかった」 池袋暴走事故、松永拓也さんは語る

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   妻と娘を失った池袋暴走事故の遺族・松永拓也さん(35)は、飯塚幸三被告(90)に禁錮5年の実刑判決が言い渡された時、涙を流したという。一方で、飯塚被告に対しては「2人の命、罪と向き合ってほしかった。それは叶わなかった」と複雑な思いも抱いていた。

   東京・池袋の路上で2019年4月19日、乗用車が暴走して松永真菜さん(当時31)と長女・莉子ちゃん(同3)が死亡し、男女9人が重軽傷を負った事故の裁判で、東京地裁は21年9月2日、過失運転致死傷罪に問われた旧通産省工業技術院元院長の飯塚被告に、冒頭の判決を言い渡した。松永さんは判決後、司法記者クラブ(東京都千代田区)で記者会見を開き、心境を語った。

  • 松永拓也さん
    松永拓也さん
  • 松永真菜さんと莉子ちゃんの遺影ともに会見した、松永拓也さん(右)と真菜さんの父・上原義教さん
    松永真菜さんと莉子ちゃんの遺影ともに会見した、松永拓也さん(右)と真菜さんの父・上原義教さん
  • 松永拓也さん
  • 松永真菜さんと莉子ちゃんの遺影ともに会見した、松永拓也さん(右)と真菜さんの父・上原義教さん

「今日の判決を受けて、もう一度自分自身に問いかけてほしい」

   松永さんは被害者参加制度を使ってこの裁判に参加してきた。会見では、判決を受けて「弁護側の主張に苦しめられましたが、判決という形で第三者から被告人に述べてくれたのは非常に感謝しています。私も救われる気持ちになりました」「これで命が戻ってくるならどんなにいいことかと思うと、虚しさも出てきました。ただ、この判決は私たち遺族が少しでも前を向いて生きていけるきっかけになり得ます」と心境を明かした。

   飯塚被告に対する裁判長の説諭について、松永さんは「『この2人が感じた恐怖心などは想像しがたい。残された遺族や他の被害者の方々の失望は察するに余りある』と、配慮の言葉を述べていただいたことに涙が出ました」と話した一方、「『判決に納得がいったなら、罪を認めた上で遺族、被害者の方々に謝ってください。もし裁判の結果に納得できないならば2週間、控訴の権利もあります』と話をされていました」として、飯塚被告に対して自身の願いをこう述べている。

「まず客観的にこの判決が出たことは、被告人も受け止めてほしい。もちろん控訴する権利が被告人にはありますが、今日の判決を受けて、もう一度自分自身に問いかけてほしい。裁判官の方はそういう意味で問いかけたと思いますし、私もそう思います」

   暴走の原因として、検察側は「アクセルとブレーキを踏み間違えた」としていたのに対し、弁護側は「車に何らかの不具合があった」として踏み間違えを否定し、無罪を主張していた。判決では検察側の主張が認められ、弁護側の主張は退けられた。

   松永さんは、禁錮5年という量刑について「大きな不満は、私自身今のところ感じていない」という。だが、「大前提として私はまず何よりも、被告人に2人の命、罪と向き合ってほしかった。それは残念ながらなかなか叶わなかった」とやりきれない胸中を明かしている。

   飯塚被告の「踏み間違え」が認定されたことについても、「私は素人ながら、参加人として証拠は見てきました。その中で、どう考えても踏み間違いだろうとしか思えなかった。でも決めるのは裁判官です。踏み間違いだと認定してくれたことは...良かったというか、『そうだろうな』と。『そうだろうな』と思うことに2年かかりました。やっと客観的なジャッジが下されたのは良かったです」と複雑な思いを語っている。

「なお納得できないなら、権利ですから控訴すればいいと思います」

   松永さんはこの判決前、8月5日のブログで「一審の判決が出たら、もう辞めにしませんか。こんな何も生み出さない無益な争い、もう辞めませんか」と問いかけるように書いた。実際に判決が出た今、飯塚被告に何を思ったのか。

   まず「大前提として法治国家ですから、加害者が無罪を主張する権利も、控訴の権利も、三審制も全て私は尊重しています。とても大事なことだと思います。特に交通(事故)はいつ誰もが加害者になり得ること。主張することが許されないのは怖い」と語りつつ、「ただ」としてこう続けた。

「加害者のことは、これだけの証拠がある中で、自分の過失を頑なに認めなかったのは、どうなのかなと思います。裁判官も仰っていましたが、判決に納得できるなら、罪を認めた上で心からの謝罪をしてほしいなと思います。これだけの証拠と判決を聞いて、なお納得できないなら、権利ですから控訴すればいいと思います。

ただ、心情的に私は(もう裁判を)したくない。なぜなら、人と争い続ける私は、2人が愛してくれた私ではないからです。本心を言えば、もう争いを続けたくないと思ってしまうんです。あとは被告人が決めることです。私には何もできません」

   事故発生から2年以上。ここまで抱いてきた感情を「悲しみと苦しみと絶望と、死んだ方がいいという気持ちから始まって、多くの人に支えられながら、何とか生きようとしました。2人の命と私自身が向き合いながら、苦悩と格闘の中で生きていました。これが今日で終わるかと言ったら終わりません。絶対に悲しみと苦しみが襲ってくるタイミングは、この先もあります。事故当日の感情の波は、時間とともに少しずつ穏やかになっていると思います。ただ一生続くだろうなと感じます」と振り返った。激動を経て迎えたこの日の判決は「間違いなく1つの区切りにはなった」という。

   事故後は一般社団法人「関東交通犯罪遺族の会(あいの会)」に入り、交通事故撲滅のための活動をしてきた。それが「2人の命を無駄にしないこと」だと思ったから。今後に向け「交通事故を防ぐには、まず人が運転していることなので人の意識にはたらきかけること。もう1つはハード面で、法制度や車の技術、地方の交通環境。これらを同時にやっていかないと事故は防げないと思っています」として、講演や国・自動車メーカーとの話し合いなどの活動をしていく意思を示した松永さん。「それで交通事故が1つでも防げるのであれば、私は2人に胸を張って、いつか天国で会えたら『2人の命は無駄にしなかったよ』と言えます」と話していた。

(J-CASTニュース編集部 青木正典)

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