「障害者をメディアで見せてはいけない」の空気感を変えて 手足3本失った男がパラリンピックに期待すること

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選手個々の「ヒストリー」を知る意味

   僕も9年前の事故の後、自分の可能性を探ろうと思って、パラリンピックが頭に浮かびました。パラスポーツに挑戦しようと思い、21歳ごろの時に車いすバスケットボール、車いすラグビー、水泳をやりました。

   でも実際に競技に取り組んで、こんなに難しいスポーツばかりなのかと思い知りました。自分が「車いすに適した体ではない」ということも知りました。参加したチームの監督にも言われました。片手では両手がある人と同じように車いすを操作できない。水泳も左腕だけで泳ぐのが難しく、勝手に体が沈んでいきます。

   当たり前ですが、パラリンピックは立とうと思って誰でも立てるステージではありません。パラスポーツはオリンピックの採用種目ほど競技人口は多くないけど、どの選手もいろんな困難の中でとてつもない努力をして、大会を目指しています。挑み続ける姿は勇気をもらえます。

   その世界の一端を、僕は手足を3本失ってから知りました。でも、多くの人は手足を失わなくても知るきっかけがたくさんあります。その1つが今回の東京パラリンピックです。

   メディアでの情報発信も大事になると思います。パラリンピックは十人十色、いろんな障害のあるアスリートが出場しています。選手個々の「ヒストリー」を掘り下げ、知ってもらうことで、勇気が沸いてくる人もいるでしょう。

   メダルを獲得したアスリートが物凄い人というのはもちろんですが、メダリストでなくても、パラリンピックの舞台にたどり着くまでにはそれぞれの過程があります。オリンピックのように、「今まで興味がなかったけど、選手のことを知ったら競技を見たくなった」「実際に競技を見たら感動した」という空気になってほしいなと思います。

   僕の友人にも東京パラリンピックに出場する選手がいます。走り幅跳び(T63)日本代表の小須田潤太選手(オープンハウス)。僕の1歳上で、僕が事故に遭ったのと同じ時期に、国立障害者リハビリテーションセンター(埼玉県所沢市)に入院していました。小須田君は右足を切断してから東京パラリンピックを目標に競技を始め、力をつけて、本当に日本代表まで上り詰めました。

   のめり込んだら一生懸命やるタイプ。一緒にリハビリしていた時から刺激をもらっていました。退院後も会っていたし、代表内定の連絡が来た時も一緒に食事をしていました。「頑張ってください」と伝えて、全力で応援しようと思ったし、僕としても励みになっています。「メダルは無理だ」と言っていましたけど、もし取ってくれたらかじらせてもらいたいですね(笑)。

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