ネット時代の記録をどう残すのか
この論集では、歴史をめぐる新たな解釈だけでなく、コロナ時代の歴史学の「課題」についても触れられている。
青山学院大の飯島渉さんは「COVID―19と『感染症の歴史学』」の中で、コロナに関するさまざまな記録をどう残していくかが、歴史学が取り組むべき課題の一つだと指摘する。病院や保健所の記録は、個人情報を含むという理由で廃棄されることが多く、感染症への取り組みを検証することが難しい理由でもあった。ネット上の情報も、放っておけば消え去ってしまう。マスクやチラシといったモノも含め、小さな情報や私的な情報を「意図的に記録に残す仕掛け」が必要だろう、と飯島さんは問題提起している。
他方、上智大の北條勝貴さんは、「忘却と変質の相克―COVID―19下の歴史実践の行方」で、「後世の検証のために記録を残そう」という掛け声と共に、コロナ下の暮らしや経験などの記録を残す動きが国内外で始まっていることを具体的に紹介する一方、SNS時代における記録保存の難しさにも警鐘を鳴らす。
情報が氾濫する時代には、情報を削除する「マイナスの操作」ではなく、逆に過剰にすることで社会のリテラシー能力を奪い思考を停止させる「プラスの操作」の方が深刻だという指摘だ。微妙にウソが入り混じる「フェイクニュース」は、新たな情報を加えるというより、作家のジョージ・オーウェルが「1984年」で創出した「ニュースピーク」のような幻惑と混乱をもたらす。
「アーキビストや歴史研究者は、単に情報を収集したり、読解してゆくだけでなく、その生成の方法やプロセスにも介入すべきなのではないか」
北條さんはそういう。これは、マスコミやジャーナリズムにも突きつけられた重い課題だと思う。こうした問題提起について、中澤さんは次のように話した。
「パブリック・ヒストリーをどう実践するかは、現代の新たな課題です。今の時代は文書や映像だけでなく、マンガ、ツイッターなどSNSも含め、ぼう大な発話・発信がなされている。どこかでいったん情報を堰き止めて氾濫を防ぎ、「公衆」と一緒にこれを歴史化する必要があります。史料が限られていたコレラの時代と違って、コロナの時代には、別の情報蓄積の手法が問われている」
この点について、中世を研究する三枝さんはこんな感想を漏らした。
「古代や中世に比べ、近世や近現代史の分野には史料がふんだんにある。史料が限られている古代・中世の分野から見れば、うらやましくもありましたが、無数の情報があったら、それをどう共通の歴史学の俎上に載せていくのかどうか、別の工夫と知恵が必要だと思うようになった。無数の情報の多様性が、権力に都合よく回収される危うさもあります。あふれる情報や資料をどう読み解いていくのか、当事者性を自覚し、批判機能のある歴史学を目指す必要があるのではないでしょうか」
かつて平凡社の「世界百科事典」のプロジェクトを手掛けた編集者に、事典編纂の裏話をうかがったことがあった。平凡社は各分野の若手・中堅の研究者2千~3千人に声をかけ、各項目の執筆を依頼した。小さな項目であっても、事典の執筆にあたっては、ぼう大な労力をかけて資料を集め、過去の研究の成果を調べつくさねばならない。その結果、各分野の執筆者はその後、任された項目を発展させて数多くの論文を書き上げた。「世界百科事典」は結果として、日本の学問水準の底上げの役割を果たせたのではないか、と編集者は述懐した。
今回の歴史学研究会の試みは、小さな最初の一歩かもしれない。締め切りまでの時間も限られ、各論文の分量も多くはない。それでも、この小さな若木には、将来の歴史学に豊かな繁りをもたらすに違いない数多い枝が芽吹いていると思った。
ジャーナリスト 外岡秀俊
●外岡秀俊プロフィール
そとおか・ひでとし ジャーナリスト、北大公共政策大学院(HOPS)公共政策学研究センター上席研究員
1953年生まれ。東京大学法学部在学中に石川啄木をテーマにした『北帰行』(河出書房新社)で文藝賞を受賞。77年、朝日新聞社に入社、ニューヨーク特派員、編集委員、ヨーロッパ総局長などを経て、東京本社編集局長。同社を退職後は震災報道と沖縄報道を主な守備範囲として取材・執筆活動を展開。『地震と社会』『アジアへ』『傍観者からの手紙』(ともにみすず書房)『3・11複合被災』(岩波新書)、『震災と原発 国家の過ち』(朝日新書)などのジャーナリストとしての著書のほかに、中原清一郎のペンネームで小説『カノン』『人の昏れ方』(ともに河出書房新社)なども発表している。