アフガン・カブール発った最後の民間機 「トルコ航空」の脱出フライトで思い出す36年前の出来事

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   アフガニスタンのガニ大統領が反政府武装勢力・タリバンへの抵抗を断念し、国外に脱出したことで、タリバンの報復を恐れた人々がカブール国際空港に殺到している。

   すでに民間航空機の運航はストップしており、軍用機による外交官や駐在員を対象にした脱出作戦が続いている。航空機の位置を表示するウェブサイト「フライトレーダー24」で確認できる限りでは、日本時間2021年8月17日時点で最後にカブールを出発した民間機は、ターキッシュ・エアラインズのボーイング777-300ER型機。アフガンの政権崩壊が確定的になり、今後の情勢が不透明になった後に本拠地のトルコ・イスタンブールを出発し、アフガン入りした。ターキッシュ・エアラインズは、1985年にイランに救援機を飛ばし、日本人を輸送したこともある。当時のエピソードを連想する人も少なからずいるようだ。

  • 現時点でカブールを最後に脱出した民間機はターキッシュ・エアラインズ機だ(写真は「フライトレーダー24」から)
    現時点でカブールを最後に脱出した民間機はターキッシュ・エアラインズ機だ(写真は「フライトレーダー24」から)
  • 現時点でカブールを最後に脱出した民間機はターキッシュ・エアラインズ機だ(写真は「フライトレーダー24」から)

航空当局は「管理されていない空域を自らのリスクで飛ぶ」ことを求める

   政権崩壊が確定的になったのは、2021年8月15日深夜から16日未明(いずれも日本時間、以下も同様)にかけてだ。ロイター通信の場合、15日22時49分にガニ大統領がタジキスタンに向けて出国したことを報じ、16日0時30分にタリバンが大統領府を占拠したことを伝えた。

   その後も、シンガポール航空、中華航空、ベトナム航空、エバー航空、ユナイテッド航空などがアフガン領空を通過したが、徐々に迂回するようになった。例えばシカゴ発ニューデリー行きのエア・インディアのAI126便は14時30分頃にアフガン領空に入ったが、直後に進路を変えて西側のトルクメニスタンに抜け、目的地をアラブ首長国連邦(UAE)のシャールジャに変更した。

   さらに、アフガンの民間航空局(ACAA)が17時前に出した航空情報(ノータム)では、カブールFIR(アフガン上空)の管制業務は軍に引き渡され、民間機向けの管制業務は提供されないことを宣言。「管理されていない空域を自らのリスクで飛ぶ」ことを求めた。

   そんな中で、「フライトレーダー24」によると、8月16日に民間機で唯一アフガンに到着したのがターキッシュ・エアラインズのTK706便だ。元々トルコの最大都市・イスタンブールとアフガンの首都・カブール間を定期便として運航していたが、政権崩壊後も欠航せずに運航した。

   「フライトレーダー24」のデータと、ターキッシュ・エアラインズがウェブサイトで公表している運航情報によると、TK706は定刻から30分ほど遅い7時6分にイスタンブール空港を出発し、同23分に離陸。12時15分にカブール空港に着陸し、定刻より1時間10分遅い12時25分に空港ターミナルに到着した。

自国民を脱出させるためのトルコ外務省の取り組みの一環

   トルコ国営放送のTRTがウェブサイトで報じたところによると、今回のフライトは、自国民を脱出させるためのトルコ外務省の取り組みの一環。乗客324人を乗せてイスタンブールに戻った。TRTによると、乗客はイスタンブール到着後に取材に応じている。カブール大学で訪問講師をしているという乗客は、

「壁を突破して国外に行こうとする人々がいた。彼らは滑走路エリアで座り込んで、数時間の遅れが出た。その様子を見ていたが、自分が乗った飛行機の周辺には、そういった人々はいなかった」

と証言。建設現場で働いていたという乗客は、

「飛行機が離陸しようとしたとき、空港の混乱で、滑走路からエプロンに戻った」
「アフガン人は米国の貨物機に近づいたが、こちらには来なかった。トルコ軍が予防策を講じていたからだ。快適に搭乗できた」

などと話したという。

   イスタンブール行きのTK707便がカブールを出発する定刻は12時45分。15時過ぎには飛行機は動き出して滑走路に向かったが、16時50分頃に駐機場に戻った。乗客が証言していた「空港の混乱」が原因だとみられる。再び動き出したのは17時35分。同48分に空港を離陸し、イスタンブール空港に22時48分に着陸。ゲートに到着したのは、定刻よりも4時間40分ほど遅い22時57分のことだった。

   ターキッシュ・エアラインズは14年まで「トルコ航空」と呼ばれていた。トルコ航空をめぐっては、イラン・イラク戦争中の救援機をめぐるエピソードが有名だ。1985年に日本人がイランのテヘランに取り残された際、自衛隊機や日本航空(JAL)機が、様々な制約を理由に救援機を運航できずにいる中、トルコ航空が代わりに運航して日本人を輸送したという話だ。1890年に和歌山県串本町沖で起きたトルコ軍艦「エルトゥールル号」の遭難事故で、地元住民が乗組員の救助に尽力したことの恩返しだとして話題になった。後に、この2つのエピソードは「海難1890」(2015年公開)として映画化もされている。

   今回のアフガンへのフライトを知り、両国のエピソードを思い出す人も散見される。例えば自民党の佐藤正久参院議員はツイッターに

「トルコ航空は、こう言う時には頼りになる。感謝」

と書き込んでいる。

(J-CASTニュース編集部 工藤博司)

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