重なる災害、そしてコロナ禍。今後は
――様々なご縁に恵まれて、新潟市は「マンガ・アニメのまち にいがた」として発展していったんですね。
「苦労はかなりあるんですが、徐々に実績を積み上げた結果です。しかし2005年あたりから、複数の天災が重なりガタケットはにっちもさっちもいかない状態になってしまいます」
――災害はどのような影響を与えたのでしょうか。
「全国ではあまり知られていませんが、新潟県中越地震はおそらくご想像されているよりもすごい被害だと思います。中越地区の経済が悪化し、それに引きずられるように上越地区も悪化しました。その直後に中越沖地震と長野県北部地震、中越大水害、新潟・福島豪雨による水害なども起こる。ガタケットの県内参加者はこれまで、県央・長岡地区の人が40%を占めていました。それが10%にまで落ちました。そして未だに戻ってきていません。銀行などに中越や上越の状況を聞いても『いやー、もう・・・』と首を横に振ります。
それにとどめを刺したのが東日本大震災です。10日後予定されていたガタケットは、会場が避難所になるため中止になりました。先の災害で参加者が激減していた上に、一回催事が中止になった。これは催事業者であるガタケットにとっては致命的で、今思い出してもつらいですね。またイベント業者は災害保険をかけられません。災害が来た時の備えやノウハウを同業者で共有していく組織が必要だと考えました。他にも同人に関わる問題はいろいろあって、助け合う組織が必要だとあらためて強く思ったんです」
――そうして出来上がったのが「全国同人誌即売会連絡会」ですか。
「連絡会の発足は更に遡ります。著作権、わいせつ図画等に対する対応、情報共有の必要性がありました。でも、当時は連絡会を作ることはそれ自体が夢物語でした。呉越同舟というように、それぞれが考えている同人誌即売会の在り方、主義主張があり、侃々諤々だったのですが、コミケットの米澤さんから『いいんじゃないのかな』と、背中を押してもらうことが出来たんです。それがきっかけで、『全国同人誌即売会連絡会』が立ち上がりました」
――今後、コロナ禍に対してはどう取り組んでいくのでしょうか。
「災害や疫病は不測の事態ですが、一定のターンで必ず直面する問題です。新潟はわずか数年間に何度も災害に見舞われるという途轍もない経験をしたから言えることですが、突然来る災厄は経験しないと実感として得にくいことだと思います。そして喉元を過ぎると忘れてしまう。本当はコロナ禍に入る前にしっかりと災害対策を考えておくべきだったように思います。
しかし今、皆が苦しい状態だから真剣に考えられることもあるはず。今こそ全国同人誌即売会連絡会などで、『頑張っていこう』と声を掛け合い、状況を共有して一緒に悩んだり対策を打ち出していったりしたいと思います」
――坂田さんは功労賞を受賞したことを機に、ガタケット事務局の代表を引退されましたが、ガタケットは今後どうなっていくのでしょうか。
「私は6月26日付でガタケット事務局の代表を退任し、新代表に武田優子と高橋大介が就きました。『ガタケット』は10代が作った組織ですので、若い感性のもとで運営してほしいという思いがありました。私は彼らに、知識と経験、ノウハウを伝えつつバックアップをしていきたいと思います。
武田と高橋には、さらに若い世代の育成に力を入れていって欲しいです。そして彼らがまた次の世代にバトンを渡す際には、バトンを渡す側のアドバイザーとしてサポートできればと思います。
現在のガタケットは、会場の問題を解決していく必要があります。東京のように大きい会場がないので一定数集まると密になってしまう可能性がある。東京でイベントを実施しているところの情報も得ながら、やっていく方向性を探っていくしかないのかなと思います。新代表と一緒に突破口を見つけていきたいです」
坂田さんは今後も、サポーターとして同人の世界を支えていくと意気込んだ。