東京五輪「トラブル年表」 競技場問題に盗作騒動、失言&辞任も続々...迷走だらけの8年を振り返る

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   開会式を2021年7月23日に控える東京五輪は、かつてなく国民の期待度が低い状態で始まることになりそうだ。

   東京五輪をめぐっては、メインスタジアムにあたる国立競技場の建て替え問題に始まり、大会エンブレムの盗用疑惑、日本オリンピック委員会(JOC)と大会組織委のトップ交代など、コロナ禍による大会延期以外でも、多数のトラブルに見舞われながら準備が進められてきた。

   国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長は21年7月に組織委を訪問し、「ここまで準備の整った大会はない、というものを準備いただいた」などとあいさつしている。開催決定から「準備が整う」までの8年間の迷走ぶりを、改めて振り返ってみた。

  • 2020年月の聖火到着セレモニーであいさつする森喜朗・組織委会長(当時)。この数日後に大会の1年延期が決まった。2021年2月には「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」などと発言し、「女性蔑視」だとして問題化。直後の記者会見では組織委会長辞任を否定したが、後に一転して辞任した(写真は2020年3月撮影)
    2020年月の聖火到着セレモニーであいさつする森喜朗・組織委会長(当時)。この数日後に大会の1年延期が決まった。2021年2月には「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」などと発言し、「女性蔑視」だとして問題化。直後の記者会見では組織委会長辞任を否定したが、後に一転して辞任した(写真は2020年3月撮影)
  • 東京五輪開幕までには様々なトラブルに見舞われた。写真は上から(提供:Zaha Hadid Architects/EyePress/Newscom/アフロ、写真:YUTAKA/アフロスポーツ、写真:アフロスポーツ、J-CASTニュース編集部)
    東京五輪開幕までには様々なトラブルに見舞われた。写真は上から(提供:Zaha Hadid Architects/EyePress/Newscom/アフロ、写真:YUTAKA/アフロスポーツ、写真:アフロスポーツ、J-CASTニュース編集部)
  • 2020年月の聖火到着セレモニーであいさつする森喜朗・組織委会長(当時)。この数日後に大会の1年延期が決まった。2021年2月には「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」などと発言し、「女性蔑視」だとして問題化。直後の記者会見では組織委会長辞任を否定したが、後に一転して辞任した(写真は2020年3月撮影)
  • 東京五輪開幕までには様々なトラブルに見舞われた。写真は上から(提供:Zaha Hadid Architects/EyePress/Newscom/アフロ、写真:YUTAKA/アフロスポーツ、写真:アフロスポーツ、J-CASTニュース編集部)

いまだに尾を引く「アンダー・コントロール」発言

   2020年夏の五輪の開催地が東京に決まったのは13年9月に開かれたIOCの総会。この時点で、すでに火種はくすぶっていた。

   安倍晋三首相(当時)は、決定に先立つプレゼンテーションで、原発事故後の状況について「アンダー・コントロール」(制御されている)だと保証する、と発言。原発敷地内に増え続ける汚染水の状況を踏まえると、発言は実情とはかけ離れているとの批判が相次いだ。21年4月、政府は汚染水を処理した水を海洋放出することを決定。漁業関係者や近隣諸国からの批判が続く中での開幕だ。

2013年9月の国際オリンピック委員会(IOC)総会で2020年大会の開催が東京に決定。決定に先立つプレゼンテーションで安倍晋三首相(当時)が原発事故の状況を「アンダー・コントロール」と表現したことが尾を引いた(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)
2013年9月の国際オリンピック委員会(IOC)総会で2020年大会の開催が東京に決定。決定に先立つプレゼンテーションで安倍晋三首相(当時)が原発事故の状況を「アンダー・コントロール」と表現したことが尾を引いた(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

   次に噴出したのは、メインスタジアムにあたる国立競技場の建て替え問題だ。12年11月、新たな国立競技場のデザイン案にコンペでザハ・ハディド氏の案が採用された。流線型の独特なデザインが注目されたが、工期の長さや総工費の高さが問題になった。

   15年5月に開閉式屋根の設置を五輪後に先送りしたり、8万席のうち1万5000席程度を仮設にした上で五輪後に撤去したりするコスト削減案が提案され、予定通り10月着工を目指すことが確認された。だが、7月になって安倍氏がハディド案の白紙撤回を表明。再コンペが行われ、大成建設・梓設計・隈研吾氏らによる案が採用され、16年12月に着工、19年11月に竣工した。

   屋根は観客席の上部のみに設置され、開閉式屋根の設置は見送られた。この対応で観客の暑さ対策上問題があるとの指摘も出たが、首都圏などでは無観客開催が決まったため、結果的には杞憂(きゆう)に終わった。

   「暑さ対策」をめぐっては、IOCが19年10月、IOCがマラソンと競歩の会場を札幌市に移す案を発表。11月に移転が「本決まり」となり、東京都の小池百合子知事を「合意なき決定」と怒らせた。ただ、晴天時は札幌でも30度を越えることがある。暑さ対策は、沿道で観戦する人の「密」対策に並ぶ課題として残った。

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