避けるべきバッシング
だが、だからといって、福祉改革が「新自由主義」にすべて骨抜きにされたとか、掲げたビジョンが羊頭狗肉だったと切って捨てるのでは、議論は堂々巡りに終わる。多元的な福祉刷新というビジョンを妨げるものは何か、どうすればその障害を除去できるのか、一つ一つ躓きの石を取り除くしかない、というのが宮本さんの立場だと思う。
そうした意味では、福祉制度への私たちの不信感や、税金・保険料の高負担感が、他の受給者へのバッシングにつながり、さらにそれが「磁力としての新自由主義」や「日常的現実としての保守主義」という「負の連鎖」を強めることは、避けなければならないだろう。宮本さんはこういう。
「この30年の福祉改革の間に不満が高まったのは、所得税や消費税を負担しながら、その恩恵を受けられない人たちです。日本の場合、120兆円の社会保障費を支えるのは4割が税金、6割が社会保険料。ところが支出の9割は国民医療保険や国民年金など社会保険に充てられる。しかし、就職氷河期の世代やひとり親世帯など、年金保険料を払えない人や、非正規雇用で社会保険に加入できない人が数多くいます。この人たちは税負担はしているのに、税支出の大半が社会保険財源の補填に使われているために、税の恩恵にも与れないわけです。その一方で、生活保護の受給資格も厳しく制限され、これまでの福祉制度の対象から外れてしまう。それが、重税感や、福祉への不信となって、政治にはねかえってしまう。生活保護への不信をあおる政治も横行しがちですが、生活保護を受給する人をバッシングするのでは、福祉の貧困化に拍車を駆けることにしかなりません」
宮本さんはさらに、ライフサイクルにおけるリスクは、従来のような、病気やケガといった単発型に留まらない。少子高齢化に伴い、リスクもまた多様化していると指摘する。
「たとえば、一口に年収200万円後半の世帯といっても、リスクは人さまざまです。生活保護はもちろん受けられず、介護が必要な老親の面倒を見たり、軽度の発達障害の子を抱えたりしている世帯は、十分な支援を受けられず、生活保護以下に暮らしを切り詰めるしかない。コロナ禍で真っ先に追い詰められるのは、そうした人々なんです。明石市の泉市長は、多様で複合的な困難を抱えた世帯を新たな「標準世帯」と呼んでいますが、おおげさではありません。見出すべき方向性は、福祉の切り下げ競争ではなく、誰にとってもリスクが多様化し複合化していることを見つめ、そのリスクに対し、私たちが連帯してどう乗り越えるかを考えることではないでしょうか」