松坂大輔のプロ初登板「165キロ出てた」 対戦の片岡篤史氏が振り返った「怪物ぶり」

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   プロ野球の西武は2021年7月7日、今季限りで松坂大輔投手(40)が現役を引退することを発表した。松坂引退の報を受け、球界や芸能界から労いの声が相次いだ。

   松坂は横浜高校時代に甲子園で春夏連覇を果たし、98年のドラフト1位で西武に入団。06年オフにはポスティングシステムでメジャーリーグ・レッドソックスに移籍した。15年に日本球界に復帰し、ソフトバンク、中日と渡り歩き19年オフに古巣西武に復帰。20年以降、西武では1軍での出場はなかった。

  • 古巣西武で現役に終止符を打った松坂大輔
    古巣西武で現役に終止符を打った松坂大輔
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先輩・愛甲氏「横高魂やね」

   西武はこの日、球団公式サイトで松坂の引退を発表し、渡辺久信ゼネラルマネジャー(GM)がコメント寄せた。

   渡辺GMは「このような決断に至り、本人も大変悔しい思いをしています」と松坂の胸中を思いやり、松坂が昨年7月に頸椎(けいつい)の手術を受けてからメットライフドームで勝利することを目標に厳しいリハビリに耐えてきたことを明かした。

   松坂引退の報に球界OBから続々と労いの声が上がっている。

   横浜高校の先輩でロッテ、中日で活躍した愛甲猛氏(58)は7日にツイッターで「横浜高校の尊敬する後輩の一人!晩年は満足行く野球じゃなかったとは思うけど諦めることなく本当に頑張ったと思う。横高魂やね」とコメントした。

   西武時代の同僚だったGG佐藤氏(42)は現役時代のエピソードを交えて松坂を労った。7日に更新したツイッターで「キャッチャーとして西武に入団した僕。キャンプで松坂が投げるスライダーが全然捕れなくて『おーい!スライダー投げないでくれー!』って言った思い出。もちろんキャッチャーはあきらめた」と当時を振り返った。

上地さん「心だけでも上手くリードできたのかな」

   また、松坂の1学年上で横浜高校時代にバッテリーを組んだタレントで歌手の上地雄輔さん(42)はツイッターで後輩に向けて感謝の念を示した。

   上地さんは7日にツイッターで「分かってたハズだけど、やっぱ少し...いゃスゲー淋しい。あいつが辛い時なんて言ったかなとか、何回笑わせられたかなとか、心だけでも上手くリードできたのかなとか」と当時を振り返りながら「#松坂大輔 選手 #俺を育ててくれてありがとう これからも、しまっていこーぜ」とメッセージを送った。

   この日、松坂引退のニュースがインターネットで流れると、ツイッターでは「松坂引退」、「平成の怪物」がトレンド入り。ツイッターでは、松坂のプロデビュー戦となった99年4月7日の日ハム戦(東京ドーム)を思い返すファンもおり、「松坂はやっぱり平成の怪物だった」とのコメントが上がった。

   その試合の初回、松坂は3番・片岡篤史から155キロのストレートで空振り三振を奪った。高卒ルーキーがプロの3番打者を155キロの剛速球でねじ伏せた。この力勝負でフルスイングした片岡の体は空転。バランスを崩してグランドに右膝を付けた。これが「平成の怪物」の伝説の始まりだった。

片岡氏「東京ドームでは伊良部でも150キロ出なかった」

   現在、野球評論家として活躍する片岡篤史氏は今年4月25日に配信したユーチューブ動画で当時のことをこう振り返っている。

「あの時は俺も絶好調で今見たらあんなスイングして足がよろけるなんてことないのよ。15年間やって。俺も力んでたんやろね。あんな振ってフラフラしたの。東京ドームで155キロという衝撃を与えたけど、当時西武球場が一番スピードガンが出たと言われた。伊良部という日本最速のピッチャーが158キロかな。清原さんの時に出したのよ。東京ドームでは伊良部でも150キロ出なかった。だから155キロというのはたぶん165キロくらい出てるよ。それぐらいのボールだったと思う」

   甲子園、日本球界、メジャーリーグ、WBCで数々の偉業を成し遂げた「平成の怪物」が、23年のプロ生活に区切りを付け静かにグローブを置く。

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