「モーニング娘。」など数多のアイドルグループを生み出し、20年以上の歴史を擁するハロー!プロジェクトだが、いつの頃からか「25歳定年説」なるものがファンの間でまことしやかに噂されてきた。しかし2021年現在、このジンクスは打破されつつあるのかもしれない。20年以上にわたってハロプロをウオッチしてきたライターのピロスエさんとともに、ジンクスがささやかれ、今に至る経緯を検証する。
初期には年齢は気にしていなかった
「25歳定年説」はその名の通り、25歳以下でメンバーはハロプロを卒業するという暗黙のルールがあるのではないかというものだ。10年以上にわたって、どんなメンバーでも卒業時年齢が25歳以下だったことがこの説を強化してきた。
しかし「昔は年齢なんて気にしていませんでした」(ピロスエさん)と言うように、ハロプロ始動とともにこの法則があったわけではない。「モーニング娘。」1期メンバーの中澤裕子さんは1997年、24歳で1期メンバーに選ばれると、2001年4月に27歳10カ月で卒業している。さらに「太陽とシスコムーン」(1999~2000)にも解散時25歳以上だったメンバーが2人居り、「メロン記念日」(1999~2010)も2010年の解散時には全員が25歳を超えていた。
ところが2000年代中盤以降、それまで同じハロプロ内で活動していたグループに「線引き」が行われる。「2006年の毎年恒例のコンサートツアー、通称ハロコンで『ワンダフルハーツ』『エルダークラブ』というグループ分けが導入されました。ワンダフルハーツにはモーニング娘。・Berryz工房・℃-uteといった若手が入り、エルダークラブにはモーニング娘。の卒業メンバーやメロン記念日など平均年齢の高めの人達が振り分けられました」とピロスエさん。
さらに「2009年3月にはエルダークラブ在籍のモーニング娘。OGを中心にしたメンバーのファンクラブ『M-line club』が発足し、ハロプロとは別の扱いがなされるようになります。どちらもアップフロントグループの運営ですが、ファンクラブが別になりました」(ピロスエさん)。
その後もM-line clubにはハロプロの各グループを卒業したOGが多く加入し、「ハロプロ卒業後の受け入れ先」という認識もファンから持たれるようになる。