逃げを選んで宝塚でG1初勝利
だが、ライアンは決して「ジリ脚」ではなかったと思う。3歳から天皇賞(春)までのレースにおける上がり3ハロンのタイムを見れば、多くのレースで出走馬中1位から悪くても3位までとトップクラスのキレを発揮していたのだ。ただ、それが前を捕まえるまで届かない。アイネスフウジンやオグリキャップ、そしてメジロマックイーンの先行力がそれだけ凄かったのだ。
そして1991年の宝塚記念である。これまで後方から差しの競馬をしていたライアンだったが、このレースでは3歳時以来となる先行策を取る。4番手からコーナーごとに位置を上げ、4コーナーでは先頭に立つと、あとから追い上げてきたマックイーンを凌いで初のG1タイトルを手にした。
キレはあるが前が強い。ならば前で勝負しよう。デビュー5年目の若手であった主戦騎手の横山典弘騎手の発想なのか、それもと厩舎の判断だったのかはわからないが、ずっと上がりで勝負していたライアンが10戦連続して継続していた、上がり3ハロン3位以上の記録が途絶えたレースで初のG1制覇を成し遂げたのである。