2021年の宝塚記念は6月27日に行われ、今年はメジロマックイーンを曾祖父にもつメロディーレーンが出走登録している。
ゲーム「ウマ娘 プリティダービー」の中で名家として登場する「メジロ家」。そのメジロ家のモチーフとなった「メジロ牧場」といえば日本のステイヤー(長距離)路線を盛り上げてきたオーナーブリーダー。3200m戦である春の天皇賞に強かったことで有名だが、春の中距離路線を締めくくる2200mの宝塚記念を1991年から1993年まで3年連続で「メジロ」から別々の馬が制していた。
メジロライアン(1991年)・メジロパーマー(1992年)・メジロマックイーン(1993年)の3頭で、いずれもウマ娘としてゲームにも登場する。宝塚記念は春の天皇賞と並んで「もう一つの晴れ舞台」だったともいえよう。「メジロ」での3連覇を振り返るとともに、ウマ娘での「メジロ家」では宝塚記念をどのように表現されているのかを比較していこうと思う。
期待されながらも惜敗が続いたライアン
メジロライアンの父・アンバーシャダイは有馬記念と天皇賞(春)のG1を2勝した馬で、母・メジロチェイサーはメジロ牧場の馬。デビュー戦から504kgの大きな馬体重、かつ首の太さ、馬体の厚みもあって、メジャーリーグの大エースであるノーラン・ライアンの名前を付けられた期待の馬だった。
しかしライアンは1990年、4歳(当時の旧馬齢表記で以下統一)クラシックでは皐月賞をハクタイセイの3着、ダービーではアイネスフウジンの2着、菊花賞では同僚で生粋のステイヤー・メジロマックイーンの3着とすべて惜敗してしまう。
さらにこの年の年末・有馬記念はメジロマックイーンが回避した。このレースにはライアンのほかにメジロアルダンも出走することになっており、メジロ同士で星の取り合いを避けたとも、まだG1未勝利だったライアンとアルダンにチャンスを与えることにした、などと言われているが、真偽はともかくライアンの結果は引退レースであったオグリキャップの復活劇に半馬身差で2着に屈してしまう。
このレースでは「競馬の神様」こと評論家の大川慶次郎氏がライアンを本命に賭けており、
「ライアン! ライアン!」とテレビの実況で声が入ったあのレースだ。結局3歳時にG1を勝つことはできなかった。年が明けても中山記念2着、天皇賞(春)をメジロマックイーンの4着と、ここまで惜敗が続いたことで、すっかり「ジリ脚」という評価が定着してしまったのだ。