ジャーナリスト立花隆さん死去 『田中角栄研究』から『脳死』まで、多彩に執筆する「知の巨人」

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   『田中角栄研究』など多数の話題作を発表し、「知の巨人」として知られたジャーナリストで評論家の立花隆(たちばな・たかし、本名・橘隆志=たちばな・たかし)さんが2021年4月30日に急性冠症候群のため亡くなっていたことが分かった。毎日新聞などが報じた。80歳だった。

  • 立花隆さん(写真:アフロ)
    立花隆さん(写真:アフロ)
  • 1983年、43歳で菊池寛賞を受賞、友人たちが開いたお祝いの会で(左から2番目)
    1983年、43歳で菊池寛賞を受賞、友人たちが開いたお祝いの会で(左から2番目)
  • 立花隆さん(写真:アフロ)
  • 1983年、43歳で菊池寛賞を受賞、友人たちが開いたお祝いの会で(左から2番目)

膨大な読書量と丹念な取材

   1940年、長崎市生まれ。東京大文学部仏文科卒。いったん文藝春秋で雑誌記者を務めるが、ほどなく退社。67年に東京大文学部哲学科に学士入学。並行してジャーナリスト活動も続けた。74年に月刊「文藝春秋」に発表した「田中角栄研究 その金脈と人脈」は綿密な取材と克明な論証で衝撃を与え、田中角栄首相(当時)退陣の引き金になった。

   70年代にはこのほか『中核VS革マル』(75年)、『日本共産党の研究』(78年)など社会性の強い作品を発表。80年代に入ると、『農協 巨大な挑戦』(80年)を皮切りに『宇宙からの帰還』(83年)、『脳死』(86年)とテーマを広げた。『ぼくはこんな本を読んできた』(95年)、『知の旅は終わらない 僕が3万冊を読み100冊を書いて考えてきたこと』(20年)など、一般向けのベストセラーも多い。

   膨大な読書量と、文系・理系の枠を超えた多彩な執筆活動で「知の巨人」の異名をとり、菊池寛賞(83年)や毎日出版文化賞(87年)、司馬遼太郎賞(98年)などを受賞している。東京大学の客員教授を務めた。

   2007年にがんの告知を受け、がんに関する取材や著作も多かった。

   NHKによると、立花隆さんが亡くなったことについて、家族が23日朝、立花さんの教え子が運営するサイトに詳細を公表した。

   「長年 痛風、糖尿病、高血圧、心臓病、がんなどの病気をかかえ、入退院を繰り返してまいりました。一年前大学病院に再度入院しましたが、本人が検査、治療、リハビリ等を拒否したため、旧知の病院に転院しました」と説明。この病院で「病状の回復を積極的な治療でめざすのではなく、少しでも全身状態を平穏で、苦痛がない毎日であるように維持していく」という院長の考えのもとで入院を続けていた。葬儀は家族のみで執り行ったという。

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