秋元康氏「泣きました。もっと頑張ろうと思いました」
宮脇さんの12年の総選挙ランクインの理由のひとつが「ぐぐたす」で知名度が上がったことだ。19年まで運営されていたSNS、Google+(グーグルプラス)のことだ。AKB48グループは11年12月にGoogle+の利用に乗り出し、グループメンバーがアカウントを持って情報発信することになった。今でこそメンバーは多様なSNSで発信しているが、当時は個人として情報発信できる貴重な手段だった。
宮脇さんは趣向を凝らした「ぐぐたす」の投稿も多かった。例えば12年2月には「咲良と行くっ!!ぐぐたす鹿児島妄想ツアー♪」と銘打って、ガイドを演じながらツアー形式で出身地の鹿児島の名所をPR。独自の動画を投稿することも多かった。
特に反響が大きかったのが、12年3月28日付の書き込みだ。宮城県名取市での被災地訪問で、津波で犠牲になった同い年のファンのために仮設住宅で線香をあげた際、母親が
「ずーっとずーっとAKB、AKBってうるさくてねー下敷きとかグッズを集めてねー。まぁ、全部流されてしまったけどね!」
などと話すのを泣きながら聞いたことを綴った。これを読んだ総合プロデューサーの秋元康氏は、
「泣きました。もっと頑張ろうと思いました」
という一文とともに拡散した。これが選抜総選挙の2か月前で、当時14歳で無名だった宮脇さんの運命を変えた。
HKT48では、最初は「部屋っ子」と呼ばれる共用アカウントから利用が始まり、後にメンバー個人名義のアカウントで発信できるようになった。
「今夜、咲良の木の下で」6月16日深夜(17日未明)の放送によると、宮脇さんは個人アカウントが開設されたのを機に「めっちゃ頑張るようになりました」。当時の力の入れようを次のように振り返った。
「『ぐぐたす』を頑張ったらファンの皆さんに少しでも自分を知ってもらえると思って、まじで、『ぐぐたす』のことしか考えてなかったです。超・頑張ってました、ほんとに」
さらに「家族ぐるみで頑張ってました」とも。両親が「こういう『ぐぐたす』投稿したら、みんなが見てくれるんじゃないか」と提案したり、動画撮影に必要なものを買ってきてくれたりもしたという。
「ぐぐたす」をめぐるエピソードは、リスナーからのメールに応える形で明かされた。ぐぐたすを知るファンは「古参」ともいえ、宮脇さんは感慨深げに思い出話を続けていた。
「ぐぐたすの更新を10時か9時ぐらいにしてたんですけども、それができないと、お母さんに、めっちゃ怒られて...、もう、毎回泣いてました。怒られすぎて。それぐらい、本当になんかもう、家族ぐるみで一生懸命だったなーって思います。懐かしいなー。そんな時から応援してくださってるんだ」