野手兼投手の「二刀流」として、海の向こうで歴史的な活躍を続ける大谷翔平選手。日本のプロ野球・独立リーグにも、異彩を放つ「二刀流」がいる。
ルートインBCリーグ・茨城アストロプラネッツに所属する薄井章太郎投手(24)だ。投球中にオーバースローとアンダースローを使い分けるという、ほかに類を見ないピッチングスタイルが野球ファンの話題を集めた。
変幻自在なフォームで打者を惑わす薄井投手。彼の野球人生もまた、「変化」の連続だった。
「ゲームじゃん」「漫画の世界だけだと...」
「ゲームじゃん」
「漫画の世界だけだと思ってたわ」
「面白い投手がいるもんだなぁ」
2021年5月下旬、ツイッター上の野球ファンの間で注目を集めた投手がいる。茨城アストロプラネッツの薄井投手だ。話題になった動画を見てみると、最初はオーバースローで内角に変化球を投球。しかし次のボールではアンダースローで外角にストレートを投げ込み、最後はオーバースローで見事に三振を奪った。
プロ野球選手の投球フォームはオーバースローが多数を占め、アンダースローの投手にはソフトバンク・高橋礼投手や楽天・牧田和久投手などがいる。しかし、上手投げと下手投げの「二刀流」はプロでも類を見ない存在。驚きが広がったのは、そのためだ。
「もともとはオーバースローで投げていましたが、球速を考えるとほかの選手と大きな差がない。新しく打ち取る方法がないかと考えたとき、一時期投げていたアンダースローが思い浮かびました。これを織り交ぜたら面白いんじゃないかと思い、クラブチームにいた1年ほど前から、この投球スタイルを続けています」
薄井投手は6月16日、J-CASTニュースの取材に対し、オーバーとアンダーの「二刀流」スタイルに行き着いた理由を語った。2つの投法は打者の反応を見ながら使い分ける。比率にするとオーバースローとアンダースローで6:4〜7:3の割合だという。オーバースローではストレート、カーブ、スライダー、チェンジアップ、ツーシームの5球種、アンダースローではストレート、カーブ、スライダーの3球種を投げる。薄井投手は「全部下から行くときもあれば、上からのときもある。更にカウントによって織り交ぜるときもあります」と話す。
大学時代に肘を故障...「野球はやめるのかな」
実は薄井投手、アマチュア時代は野手を中心にプレーしていたこともあり、プロでも内野手として出場。オーバースローとアンダースロー、そして野手と、実質「三刀流」プレーヤーなのだ。「野手と投手では練習が分かれているので、自分は人一倍の練習が必要になる」と苦労を語るも、「どっかいけ(守れ)と言われたら、いきます(笑)」。目指しているのは「究極のユーティリティプレーヤー」だ。
自身を「人と違うことをしたい」性格だと語る薄井投手。そんな性格が表れているのか、彼の野球人生も変化の連続だった。
1997年1月12日生まれの薄井投手。出身は茨城県ひたちなか市だが、幼少期から関東各地を転々とした。小学2年生のときにスポーツ少年団で野球をはじめ、中学校まで軟式野球でプレー。千葉の名門・専大松戸高校に進学し、硬式野球部に入った。
在学中の甲子園出場はならなかったものの、3年時には内野手兼投手として存在感を発揮した。また、当時の専大松戸野球部には1学年上に高橋礼投手、1学年下に原嵩投手(現:千葉ロッテ)、渡邉大樹選手(現:ヤクルト)が在籍。特に、のちに専修大学でも共闘する高橋投手から受けた影響は大きく、アンダースローもこの時期に習得したものだという。「最初アンダースローを始めた時も、礼さんを見様見真似で始めた部分はあります。礼さんがプロになった今でも、投球フォームを見て参考にしています」。
高校卒業後は専修大に進学した。野球部では投手一本でプレーしたが、1年生の冬に肘を故障。3年生まで試合で投げられず、また4年生になると競争の激化もあり、出場機会に恵まれなかった。
「ここで野球はやめるのかな、って思っていました」
野球の道をあきらめ、大学卒業後は証券会社に就職。福島県いわき市に配属され、営業マンとして働くことになった。
「既定路線の人生を歩むのは面白くない」
各家庭や事業所を一軒一軒まわる「飛び込み営業」を重ねる日々。あるとき、転機が訪れる。
「ある営業先を訪れたとき、外を見たら(野球の)アップシューズが干してありました。営業トークの一環で『野球をやられているんですか?』と聞いたら『クラブチームで野球をやっているんだよ』と。その方は、クラブチームの監督さんでした」
監督との思わぬ出会いもあり、19年秋に社会人クラブチーム「いわき菊田クラブ」に入部。仕事とクラブの「二足のわらじ」で活動をはじめた。するとチームは20年に開催された福島県の社会人野球カップ戦「JABA毎日新聞社杯」で優勝。薄井選手は決勝戦で野手としてランニングホームランを放つなど、MVPを獲得した。
再び沸き上がってきた、野球への思い。薄井選手は同年12月、出身地・茨城をホームとするアストロプラネッツのトライアウトを受験。野手のみならず、クラブ在籍中に編み出したオーバー&アンダー投法で投手としてもアピールし、練習生として今年1月に入団した。
プロ入団に合わせ、証券会社も辞めた。「仕事が嫌になったわけではありませんでした。ただ、既定路線の人生を歩むのは面白くないな、とも思っていました。今できることを、チャレンジしたい。覚悟を決めました」
公式戦に出場できない「練習生」だった薄井投手だが、5月20日には選手契約を勝ち取った。以降、リーグ戦やNPB・読売ジャイアンツ三軍との交流戦に登板し、いまもアピールを続けている。「アンダースローを中心に投げると、オーバースローのフォームを崩してしまうという難しさもある。スタイルをはめ込むための反復練習は、もっともっと必要だなと感じています」。
今後の目標を「自分の投球スタイルを極めて、NPBなど上の舞台でも勝負できる投手になっていきたい」と語る薄井投手。茨城の「二刀流」から、目が離せない。