大学時代に肘を故障...「野球はやめるのかな」
実は薄井投手、アマチュア時代は野手を中心にプレーしていたこともあり、プロでも内野手として出場。オーバースローとアンダースロー、そして野手と、実質「三刀流」プレーヤーなのだ。「野手と投手では練習が分かれているので、自分は人一倍の練習が必要になる」と苦労を語るも、「どっかいけ(守れ)と言われたら、いきます(笑)」。目指しているのは「究極のユーティリティプレーヤー」だ。
自身を「人と違うことをしたい」性格だと語る薄井投手。そんな性格が表れているのか、彼の野球人生も変化の連続だった。
1997年1月12日生まれの薄井投手。出身は茨城県ひたちなか市だが、幼少期から関東各地を転々とした。小学2年生のときにスポーツ少年団で野球をはじめ、中学校まで軟式野球でプレー。千葉の名門・専大松戸高校に進学し、硬式野球部に入った。
在学中の甲子園出場はならなかったものの、3年時には内野手兼投手として存在感を発揮した。また、当時の専大松戸野球部には1学年上に高橋礼投手、1学年下に原嵩投手(現:千葉ロッテ)、渡邉大樹選手(現:ヤクルト)が在籍。特に、のちに専修大学でも共闘する高橋投手から受けた影響は大きく、アンダースローもこの時期に習得したものだという。「最初アンダースローを始めた時も、礼さんを見様見真似で始めた部分はあります。礼さんがプロになった今でも、投球フォームを見て参考にしています」。
高校卒業後は専修大に進学した。野球部では投手一本でプレーしたが、1年生の冬に肘を故障。3年生まで試合で投げられず、また4年生になると競争の激化もあり、出場機会に恵まれなかった。
「ここで野球はやめるのかな、って思っていました」
野球の道をあきらめ、大学卒業後は証券会社に就職。福島県いわき市に配属され、営業マンとして働くことになった。