手塚治虫、藤子不二雄ら有名漫画家たちが居住していたことで知られる「トキワ荘」。その名を冠した漫画家、漫画家志望者向けの大規模シェアハウス「多摩トキワソウ団地」が2021年6月1日、東京日野市に誕生した。
コロナ禍でリモートワークが普及した日本。自宅で一人仕事ができることを歓迎する人も多い中、なぜ「対面」の空間づくりにこだわったのか。
「視野」広げるシェアハウス
JR新宿駅から中央線特別快速に揺られること、およそ30分。豊田駅(日野市)を降り立ち、北へ6分ほど歩くと、白い塗装の住宅団地が見えてくる。築50年を超える団地を改装したシェアハウス「りえんと多摩平」だ。この一区画に、漫画家たちが暮らすシェアハウス「多摩トキワソウ団地」はある。
シェアハウスは個室3室で1ユニットを構成し、各室にデスク、ベッド、エアコン、冷蔵庫を標準装備。共用部のラウンジでは、ほかのユニットに住む仲間とコミュニケーションがとれる。家賃・管理費含め、5万円台から居住可能だ。
運営するのは、特定非営利活動法人のNEWVERY(東京都)。首都圏で漫画家向けシェアハウス事業「トキワ荘プロジェクト」を展開し、これまで120人以上のプロを輩出してきた。今回の多摩トキワソウ団地には、既存のシェアハウス7棟を集約する目的もあるが、NEWVERYの菊池蓉子さんは6月7日、J-CASTニュースの取材にこう話す。
「多くの作家さんが共同生活をすることで、いろいろな価値観、人生観を知り、作家としての視野が広がっていくのではないか。そう考え、多摩トキワソウ団地をオープンしました」
6月1日にオープンした多摩トキワソウ団地。取材日時点で、定員29室のうち28室で入居が決まった。今後はさらに部屋を増やす予定だという。
マンガ家としての「独り立ち」支援も
シェアハウス名にもある「トキワソウ」という名前。これはかつて東京・豊島区にあったアパート「トキワ荘」(1952~1982)に由来する。1953年に手塚治虫が居住したのを皮切りに、若手漫画家たちが続々と入居。お互いが切磋琢磨する中で、藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫など、のちのスター漫画家たちが巣立っていった。
「もともとトキワ荘は(手塚治虫さんのような)大先生がいて、それに師事する弟子たちがどんどん入ってくるという構造だった。トキワ荘プロジェクトでも、漫画家志望でシェアハウスに入居した人が実際に漫画家デビューを果たして、ほかの居住者にアシスタントをお願いする、という動きが自然発生的に起こっている。この点は、昔のトキワ荘を彷彿(ほうふつ)とさせるなと思います。多摩トキワソウ団地も、やがてそうなってくれるんじゃないかな、と期待しています」(菊池さん)
ただ、シェアハウスに入居したからといって、すぐ有名漫画家になるのは現実的に難しい。そこでNEWVERYが力を入れているのが、居住者の「独り立ち」支援だ。具体的には、漫画制作の研修を通じてスキルアップにつなげたり、企業紹介などのマンガ制作事業を委託したりすることで、「漫画で食べていく」術を身に着けてもらおう、というもの。
菊池さんは「雑誌で連載を取るのは狭き門ですが、漫画家さんの活躍するフィールド自体は広がってきている」と話す。思い込みやこだわりにとらわれず、どのようなキャリアプランを描いていくか。多摩トキワソウ団地には、漫画家としての生き方を見つめる機会も設けられている。
「他人と話せない」コロナ禍、閉塞感で応募増える
ただ、今はコロナ禍だ。リモートワークの普及で「自宅での一人仕事、一人作業」が定着しつつあり、それを歓迎する人も少なくないだろう。なぜ「対面」の空間づくりにこだわったのか。菊池さんは、次のように思いを語る。
「コロナ禍だからこそ、というのもあります。確かに漫画家は一人で作業するものではあります。ただ、コロナ禍以降は『他人と話せない』といった閉塞(へいそく)感から、単に一人暮らしをするより、同じように漫画の道を志す人が集まる空間で暮らしたい、という方の応募が(トキワ荘プロジェクトでは)増えています」
1度目の緊急事態宣言が出ていた20年5月には、「週刊少年ジャンプ」(集英社)が一時休刊。「ゴルゴ13」(さいとう・たかを)が「ビッグコミック」(小学館)での新作掲載を見合わせた。業界の動きが止まったことで、漫画家を目指す人々のキャリアプランにも影響が生じたという。「業界の成長が止まるような状況を、継続させたくなかった。プロを目指すみなさんの成長に寄与するため、住む場所自体をお互いが切磋琢磨できる場にしたいと思っていました」。
コロナ後には地域交流などを通じ、居住者の作家性を広げる活動をしていきたいと語る菊池さん。「多くの人に感動を与えたり、人の心を動かしたりする作家を多摩トキワソウ団地から輩出できたら」と思いを口にした。