外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(40)哲学者スラヴォイ・ジジェク氏と考えるパンデミックの意味

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「サマラの約束」

   最後に、ジジェク氏の著書「パンデミック」から、その締めくくりに書かれた「サマラの約束 古いジョークの新しい使い方」の文章を引いておきたい。ここに最もジジェク氏らしい修辞と機智、決意が表れていると思うからだ。

   サマセット・モームは古い物語を下敷きに、「サマラの約束」という文章に改作した。次のような小話だ。

   一人の召使がバクダッドの市場に使いに行き、死神に出会った。死神に見つめられておびえた彼は、帰ってくるなり主人に馬を貸してくれ、と頼んだ。一日走って夜にサマラまで行けば、死神に見つけられなくなるだろうからと。人の好い主人は馬を貸しただけでなく、自ら市場に行って死神を探し、召使を脅かしたことを咎める。すると死神は「しかし、脅かそうとしたわけじゃない。あいつをこの市場で見て驚いたのだ。彼とは今夜、サマラで会うはずだったから」と答えた。

   この話は通常、「人の死は避けられないもので、逃れようと身もだえすることで余計に抜け出せなくなる」と解釈される。だがジジェク氏は全く逆にも解釈できるという。それは「運命を逃れられないものと受け入れたら、抜け出すことができる」というものだ。もしオイディプスの両親が預言の運命を避けようとしなければ天啓は成就せず、召使がサマラに向かわなければ、彼は死なずに済んだかもしれない。

   このレトリックはコロナ禍でも使われた、とジジェク氏は言う。典型は「集団免疫説」に代表される保守派ポピュリストの言説だ。彼らは、脅威など知らないかのように行動すれば、つまり無視すれば、脅威と分かって行動するよりも、実際のダメージが小さくなるかもしれないという。疫学者の意見に従い、隔離とロックダウンによってウイルスの影響を最小化しようとすれば、経済崩壊と貧困の破滅的状況を招くだけだ。それはウイルス感染による比較的わずかな割合の死よりも、はるかに激烈だ、と。

   だが、こうしたトランプ流の「仕事に戻ろう」という呼びかけは、労働者への気遣いを装うペテンだ、とジジェク氏は言う。理由は二つある。一つは、多くの貧しい賃金労働者には、気がつけば貧困がウイルスよりも大きな脅威になっていたという悲惨な状況があるが、その大きな原因は、福祉国家の解体に集中してきたトランプの経済政策にあるということだ。もう一つは、実際に「仕事に戻る」人は貧しく、一方で富裕層は快適な自己隔離にこだわる。ほかの人たちを自己隔離させるために、自分は自己隔離できないエッセンシャル・ワーカーや、自己隔離する「家」さえない難民などには目をつぶった議論だ。

   だが、「コロナをきっかけに強化された社会統制が、ウイルスが消えた後も継続し、我々の自由を侵害する」という左派リベラル系の憂慮も、今実際に起きている現実を見落としているという。

「起きていることは、全く逆だ。権力者たちは、お互いに適切な距離を保ちましょう。きちんと手を洗いましょう、マスクを着けましょうなどと叫び、この危機の結果を我々個人の責任にしようとしている」

   そう書いた後で、ジジェク氏はこういう。

「臣民である我々から国家権力に伝えるべきメッセージは、我々は喜んで命令に従いますが、それは『あなた方』の命令であり、我々が命令に従ったとしても、それが完全にうまくいく保証はないですよ、ということである。国家の運営にあたる者たちがパニックになっているのは、状況をコントロールできていないからだけではなく、彼らの臣民である我々にそのことがバレていると知っているから、である。権力の無能が、今、露呈しているのだ」

   つまりジジェク氏は、コロナ禍において大切なことは、保守派による「感染防止か、経済立て直しか」という二者択一の設問や、左派リベラル系の「社会統制か自由か」という選択でもなく、権力が無能であることを直視し、ただ「王様は裸だ」と叫ぶことだと考えているのだろう。彼はこの文章を次のように締め括る。

「だから、『ウイルス危機のおかげで、我々の暮らしの本当の意味を突き詰めることができる』などというニューエイジのスピリチュアルな瞑想で、無駄にしてよい時間はない。本当の闘争は、どんな社会の形が放任資本主義の『新社会秩序』に取って代わるのかをめぐって行われる。それが我々の本当の『サマラの約束』なのだ」

   ここまで読み進んだ時、私は本の帯に書かれた「最も危険な哲学者」という惹句が、ストンと腑に落ちた。

ジャーナリスト 外岡秀俊




●外岡秀俊プロフィール
そとおか・ひでとし ジャーナリスト、北大公共政策大学院(HOPS)公共政策学研究センター上席研究員
1953年生まれ。東京大学法学部在学中に石川啄木をテーマにした『北帰行』(河出書房新社)で文藝賞を受賞。77年、朝日新聞社に入社、ニューヨーク特派員、編集委員、ヨーロッパ総局長などを経て、東京本社編集局長。同社を退職後は震災報道と沖縄報道を主な守備範囲として取材・執筆活動を展開。『地震と社会』『アジアへ』『傍観者からの手紙』(ともにみすず書房)『3・11複合被災』(岩波新書)、『震災と原発 国家の過ち』(朝日新書)などのジャーナリストとしての著書のほかに、中原清一郎のペンネームで小説『カノン』『人の昏れ方』(ともに河出書房新社)なども発表している。

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