外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(40)哲学者スラヴォイ・ジジェク氏と考えるパンデミックの意味

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パンデミックが与えた衝撃

   時期をはさんだ二つのインタビューをお読みになって、世界に向き合うジジェク氏の基本的な姿勢をおわかりいただけたろうか。私にとってそれは、西側資本主義を間近に見て育ち、冷戦崩壊後の激変にあってもイデオロギーや体制擁護の言説の虚妄を撃ち続ける果敢な思想家というものだった。

   その思想家が、このコロナ禍を通して何を考えてきたのか。2021年5月13日、リュブリャナの自宅にいるジジェク氏にZOOMで話をうかがった。

   スロベニアでは昨春の感染は軽微にとどまったが、昨年10月に感染が急増し、政府は全国に流行宣言を出し、その後延長した。今年1月にピークを超えたが、5月になっても一日の新規感染が500人~700人台を数えた。5月28日時点のロイター通信の集計によれば、累計感染者数が25万931人、死者数は4327人。これを前日の日本の累計感染者数73万5683人、死者数1万2759人と比較してみれば、人口約200万人の国としては、いかに規模が大きいのかが実感できる。

「数週間前には、人口当たりの新規感染者数が世界一になったこともある。今はかなり好転している」

   ジジェク氏はそう言った後、すぐに話題を国内政治に転じた。

   私はインタビューの前に「質問票」を送っていた。その第1の質問、「あなたは以前、グローバル化が必然的に世界に分断を招くと語っていたが、コロナ禍でその動きは加速されたか」というものだった。これに対し、彼はこう答えた。

「スロベニアでは中道右派の民主党を率いるヤネス・ヤンシャ首相が昨年3月から3度目の政権を担っている。彼はハンガリーで徹底した反移民政策を掲げるオルバン・ヴィクトル首相と連携し、政治・経済・文化・メディアに圧力をかけ、それがコロナ禍で加速した。彼らは古い社会主義体制の手法を使って、ナショナリズム・反リベラリズムという新しいイデオロギーを押し付けようとする点で共通している。ある意味で、この政治的な動きは、コロナ禍よりも危うい」

   ジジェク氏によれば、今回のコロナ禍を通じて、世界には、資本主義とナショナリズムが結合した「権威主義的ネットワーク」が形成されつつある、という。それはインド、ロシア、トルコ、旧東欧ハンガリーなどの国々だ。フランスですら、来年4月の大統領に向けた世論調査では、現職のマクロン大統領選を、極右政党「国民連合」のマリーヌ・ルペン候補が猛追していると伝えられる。

   だが、パンデミックの衝撃は、世界に相矛盾する影響を及ぼしており、その結果は、私たちが今後どう振る舞うかにかかっている、とジジェク氏はいう。

「私は米国のバイデン政権には批判的だが、彼らが打ち出した環境対策やキャピトル・ゲイン規制は、これまでの基準でいえば進歩的で、極めて左派的だ。その意味でパンデミックは国際社会を組織化し、国際連帯のみを通して克服できる、という潮流をもたらしている。だが他方では、ワクチンを自国優先で確保しようとする動きがEUでもロシア、中国でも広がっている。これは『COVIDナショナリズム』とでもいうべき潮流だ」

   だが、事情はさらに複雑だ、とジジェク氏は続ける。国際社会に二つの潮流が生まれただけでなく、米欧各国内部でも、異なる流れが生じている、というのだ。

「一方では、コロナ禍に対して、国民一律に現金を給付したり、最低賃金を引き上げて飢えから救うという試みがなされている。だが他方では、コロナ禍によって、富める1%はますます豊かになり、残る99%はますます追い詰められ、格差は拡大している。女性は、より苦境に立たされ、人種問題は米国でもフランスでも爆発寸前だ」

   つまりパンデミックはここ1、2年、国際社会においても、各国内においても、相矛盾する潮流を生み、資本主義を「政治化」する状況が生まれている。こうした状況においては、それぞれの市民が、どのような潮流を拒み、どのような潮流を加速させるか、真剣な政治決断を迫られている、という。

「私の友人で最も左派的な人物ですら、『こうした黙示録的な世界、医療の緊急事態においては、政治闘争をすべきではない』という。だが、こうした流動的な状況においてこそ、対話が大切だし、政治的な決断が必要なのだと私は思う」
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