2021年5月30日の日本ダービーでは、牝馬サトノレイナスがウオッカ以来14年ぶりの牝馬ダービー制覇を狙って出走する。
2019年に没した牝馬の大スター・ウオッカは、史実でもゲーム「ウマ娘 プリティーダービー」でも格好よくエネルギッシュな存在だ。ライバルである女王・ダイワスカーレットとの名勝負に彩られた生涯と、華やかな戦歴をモチーフにした「ウマ娘」での粋で格好いいキャラクターを見てみよう。
強烈な「差し」で勝ち進む
ウオッカといえば2007年に牝馬で日本ダービーを制した馬として有名だろう。なにせ彼女の前の牝馬のダービー制覇を辿ると1943年のクリフジまで遡ることになる。
ウオッカは冠名「タニノ」を付けるオーナーブリーダーである谷水雄三氏が馬主だ。だが、ウオッカにはタニノの冠名がついていない。父はタニノギムレット、母はタニノシスターだが、ジンベースのカクテル「ギムレット」の娘にジンよりアルコール度数が強い「ウオッカ」と名付け、タニノをあえて付けずストレートな強さを表現したというエピソードが期待の星であったことを物語っている。
期待の現れは名前だけではない。桜花賞・皐月賞・オークス・ダービー・菊花賞のクラシック競走は特別登録という制度があり、事前に登録料を支払って登録するのだが、ウオッカはその段階から、5競走全ての登録をしていたのである。通常は牝馬なら桜花賞とオークス、牡馬なら皐月賞とダービーと菊花賞を登録するのだが、既に馬主はダービーも視野に入っていたのだ。
デビューは2006年10月の京都。4コーナーで突き放して3馬身1/2をつけて快勝している。2戦目黄菊賞では差しの競馬となったが、前を捉えられず2着に。しかし、残り600mからの上がりタイムは最速を記録しており、代名詞となる鋭い差し脚は充分に発揮したレースだった。そして迎えた2歳G1阪神ジュベナイルフィリーズでは6番手からやはり最速の上がりを繰り出し、2歳レコードタイムとなる1.33.1で差し切り勝ち。2歳牝馬チャンピオンとなった。
「終生のライバル」ダイワスカーレット
だが、明けて2007年、3歳のウオッカにライバルが現れる。終生のライバル、ダイワスカーレットだ。
両雄の初対決は桜花賞の前哨戦であるG3チューリップ賞。ウオッカが1番人気、ダイワスカーレットが2番人気で迎えたレースはウオッカが5番手から最速上がりで差し切り勝利する。ダイワスカーレットはクビ差で2着に敗れたが、3着とは6馬身の差がついた。2頭でマッチレースを繰り広げていたのである。
続く桜花賞、今度は3番手からの先行策で走るダイワスカーレットに対し、ウオッカは7番手からの差し勝負。結果はダイワスカーレットが優勝し、ウオッカは2着であったが、このレースも3着とは3馬身1/2。なにより上がり600mのタイムがダイワスカーレットもウオッカも一緒の33.6だったのである。2頭のマッチレースでどちらもスピードでは負けておらず、着差は位置取りの差のみであった。
もはや2007年の牝馬クラシックはこの2頭によるマッチレースの様相を呈していたのだが、ここでウオッカのダービー挑戦が正式に発表されるのである。
ウオッカがダービーを目指していることは桜花賞前から語られてはいたものの、桜花賞で2着と敗れたことでやはりオークスに目標を変えるかと思われたが、最終的には角居勝彦調教師が決断したと言われている。
ダービー制覇と続く挑戦
一方、桜花賞の1週間後に行われた皐月賞は7番人気ヴィクトリーがうまく逃げ切って1着、15番人気サンツェッペリンが2着という大波乱が起きた。しかし着差は2着ハナ差、3着ハナ差の大激戦。3歳牡馬クラシック路線は「どの馬が一番強いのか」が皐月賞では判断できない状況だったのである。
そこに桜花賞2着馬ウオッカの参戦。当時の競馬ファンは悩みに悩んでダービーを迎えることになってしまった。ダービーでのウオッカは3番人気、当時悩んだ末に私はウオッカの単勝を握ってレースを迎えたのである。結果、道中11番手から最速上がりを出してウオッカが2着に3馬身差をつけて勝ち、64年ぶりとなるダービーの牝馬優勝が達成された。
一方、オークスは...なんとダイワスカーレットが感冒で回避。桜花賞では4着だったローブデコルテが5番人気で優勝し、ここまでのクラシック路線G1勝ち馬が全てバラバラになってしまう状態になったのである。
2007年は競馬界全体で常識が通用しない空気が流れていた。その中心だったウオッカのダービー挑戦・制覇は強烈なインパクトだったわけだが、彼女の挑戦はこれだけでは終わらなかった。
なんと、3歳で宝塚記念に挑戦したのである。結果は8着だったが、成長期である3歳春に古馬との混合G1に挑戦することは話題となり、1番人気に推されていた。さらに次は凱旋門賞を目指すと表明するが右後肢の蹄球炎で回避、幸い重症化せず秋華賞に目標を変えたことでダイワスカーレットとの再戦が実現。この対ダイワスカーレット3戦目、ぶっつけ本番だった影響もあったのか位置取りは15番手からとなり、2番手から3コーナーで差して勝利したダイワスカーレットに届かず3着に終わる。
次は古馬を交えた牝馬最強決定戦、エリザベス女王杯でダイワスカーレットと4度目の対決、となるはずだったが当日朝、ウオッカは跛行のため出走取消。しかし勝者はまたもダイワスカーレット。この世代の牝馬が最強であることを証明したのである。
秋の天皇賞、ハナ2cm差の最後の戦い
2008年以降、古馬となったウオッカはまずは毎年3月にドバイに遠征。結果は2年とも出せなかったが、国内ではヴィクトリアマイルを4歳時2着、5歳時1着。安田記念を4歳5歳で連覇と、東京競馬場の長い直線を活かし差し脚を存分に発揮して活躍してきた。
4歳、2008年の天皇賞(秋)。ダイワスカーレットと最後の戦いが行われた。逃げるダイワスカーレット、差して追うウオッカ。直線で2頭は競り合い、長い写真判定の末着差は2cm......勝ったのはウオッカだった。
5度戦ったライバルとの結果はウオッカの2勝、ダイワスカーレットの3勝だった。ダイワスカーレットはこの年の有馬記念で1番人気逃げ切り勝ちして有終の美を飾り引退。彼女は生涯3着以下になったことがなく、完璧な名馬だったわけだが、4度2着になったうち半分の2度はウオッカだったのである。
2009年、ウオッカは5歳で現役続行、最後のG1勝利となったのは東京芝2400mのジャパンカップだった。5番手からレースを進め、先に抜け出したところオウケンブルースリに追い込まれ、着差はまたも2cmながら勝った。とことん、負けん気の強い馬だったのだろう。そして6歳になり三度ドバイへの挑戦に向かったが、ドバイのG1前の前哨戦で8着に敗れたあと再び鼻出血が判明し、引退が決まった。
強烈な差し脚と、ダービーだけではなくあらゆることに挑戦しつづけたウオッカはこれまでの常識では捉えられない新しい競馬の姿を見せてきたのだが、実は、ウオッカの挑戦は引退後も続いていたのである。
ウオッカはドバイから日本に帰国せず、アイルランドで繁殖牝馬となった。オーナーはウオッカにヨーロッパの名種牡馬を種付けし、その産駒を日本で走らせるという壮大な夢があった。しかし今の所、残念ながら目立つような結果が出ている状況ではない。産駒からは4勝した馬が2頭出ているが、重賞勝ちはまだだ。そしてウオッカは種付けのため移動したイギリスで2019年、蹄葉炎のため天国に旅立ってしまったのである。
「格好いい」を追求し続けるウマ娘
このように、挑戦と波乱万丈な生涯を過ごした史実のウオッカ。一方で、ウマ娘でのウオッカは「格好いい」を追求するキャラクターとして他とは異彩を放っている。
育成を開始するとまず「日本ダービーに憧れを抱くウオッカ」のイベントが発生する。父・タニノギムレットがダービーを勝っており、紹介したとおりオーナーも当初からダービーの登録料を払っているなど、幼くしてダービーを意識していた部分が存分にストーリーに取り込まれているのである。
そして育成を進めていくと、チューリップ賞後にオークスか、ダービーかを悩むウオッカの姿がある。ダイワスカーレットとの対決のためにオークスを走るか、ダービーへの夢を叶えるためにダービーを走るか。
両立させることができないなかで最終的に「トレーナーも一緒に考えてくれ」と言うウオッカ。史実で最終的に角居調教師が決断したと言われている部分がうまく取り込まれている。
さらに桜花賞後、悩むウオッカにナリタブライアンがアドバイスをするシーンが登場する。もちろんこの二人は史実では時代が違うので創作ではあるが、ナリタブライアンはウオッカに多くのアドバイスをせず、一言「本能のまま進め。今さら普通のウマ娘のフリをするな」という格好いいセリフを吐いてその場を去るのである。
格好いいに憧れを持つウオッカ、それを言われて「道なき道を征く」決意が固まるのは自然の流れだった。そして最後のひと押しは、トレーナーと相談した際にトレーナーが言う「カッコいいって何だろうな」のセリフだ。悩みを完全に吹っ切ったウオッカはダービーに向かう。ウマ娘は競馬シミュレーションではないからこそできる、史実と創作のクロスが非常に心に刺さるシーンの一つだろう。そして、史実の説明でも紹介したウオッカの挑戦はウマ娘の中でもふんだんに盛り込まれている。ダービー後に記者会見で世界挑戦すると言い、それを実行するウオッカ。そして世界へ旅立つ直前に脚をグキッと捻り取りやめるのは、凱旋門賞へ挑戦するために向かう直前に蹄球炎で回避したエピソードである。
ダイワスカーレットとの幻の対決も
さらに秋華賞後にはダイワスカーレットから「エリザベス女王杯走るから『都合がつくなら』そこにも来なさい」と誘われるのだが、前述の通り史実では当日ウオッカが跛行のため出走取消となってしまう。
これが実現していれば対決は6度になっていたはずだった。そして、ウマ娘の育成で実際に走ることのなかったクラシック級時点でのエリザベス女王杯を走らせると......ここは皆さんの目で確認していただきたい。
そしてウマ娘でのウオッカのエンディング、最後に世界へ挑戦のため旅立つのだが、この挑戦はドバイ遠征の意味もあるが、その後繁殖牝馬として現地から産駒を日本で走らせることになった史実も知ると、エンディングストーリーの「終わりなき挑戦」の意味がより深くなるところだろう。
最後に、ウオッカの馬主であった谷水雄三氏は現在、牧場事業から撤退してしまっている。体力の低下により、オーナーブリーダーとしての活動が長期的に難しいと判断してのものだという。だが、ウオッカが残した、異国の牡馬の血も受け継ぐ産駒たちによって、まだまだストーリーは現在も終わってはいない。多くの競馬ファンならびにウマ娘ファンを楽しませてくれる歴史を残してくれたことに感謝したいと思う。
(公営競技ライター:佐藤永記)