「同人誌即売会」は、同じ趣味を持った人々が集い、個人が趣味で制作した本を売買するイベントだ。この場で取り交わされる本は「同人誌」と呼ばれ、プロ・アマ問わずたくさんの人々が手掛けている。
最近では、同人活動を経て雑誌などに連載する商業漫画家となる人もいるため、同人誌即売会が日本の漫画文化を支える存在の1つとなっている、との見方をされることもある。
しかし新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、その多くが中止や延期を余儀なくされている。イベントが開催されないことで同人誌の印刷を得意とする「同人誌印刷所」などの関連産業が窮地に立たされたほか、同人に留まらない漫画界全体への影響を懸念する声も上がっている。
そんな中、同人誌即売会の存続に力を注ぐ人たちがいる。その一人が、同人誌即売会を主催する「赤ブーブー通信社」代表・赤桐弦さんだ。J-CASTニュースは2021年4月26日、赤桐さんに同人誌即売会への思いを聞いた。
(聞き手・構成/J-CASTニュース編集部 瀧川響子)
なぜ同人業界に入ったのか、同人誌即売会の魅力とは
赤ブーブー通信社(有限会社ケイ・コーポレーション)は、1988年から「COMIC CITY」という同人誌即売会を開催するイベント会社だ。同社が実施するイベントの中でも「HARU COMIC CITY(春コミ)」や「SUPER COMIC CITY(スパコミ)」については、日本最大級の同人誌イベントの一つとして知られている。参加サークル(出展)数においては、世界最大級の同人誌即売会「コミックマーケット(コミケ)」に並ぶ。
そんな同社の代表が赤桐さんだ。
――そもそも赤桐さんは、なぜ同人業界に関わるようになったのでしょうか。
「親の仕事を継がせてもらいました。母が同人誌印刷会社を立ち上げ、小学5年生の時に初めて同人誌に触れました。もともと絵が大好きだったので、描いたものが本になるということにびっくりしました」
赤桐さんの母親は、「同人誌の母」として知られる田中(旧姓・赤桐)圭子さんだ。印刷会社「曳航社」を仲間と立ち上げ、本を販売できる同人誌即売会も開催していた。その後、赤ブーブー通信社を創立し、20年9月22日に永眠するまで同社の代表を務めた。
「大学では社会学を学んでいたのですが、『また絵を描きたい』と思いました。そこで卒業後に、東京の美術大学に入学し油絵を学びました。しかし当時の日本の画壇では、どの先生のもとで学んでいたかなど、妙な権威が先立ってしまうことに気づきました。
そんな時に、久しぶりにアルバイトとして母の同人誌即売会を手伝いました。そこでは、上手い下手は別として自分の好きなものを表現する人と、それを欲する人がお礼を言いながら買っていく関係性がありました。この関係性があまりにも衝撃的でうらやましく、こちらのほうが絶対面白い、関わりたいと感じたのです。それが21歳くらいのときだったかな」
その後、赤桐さんは同社に入社した。田中さん亡き後は、当時副代表だった赤桐さんが代表を継いだ。
――赤桐さんは同人誌を頒布した経験がありますか。
「自分も同人誌を出した時に、数冊だけ売れました。1冊でも売れたらめちゃくちゃうれしいじゃないですか。偉い先生に『いい作品だ』と褒められることよりもずっと楽しい。それが2巻を出した時に、『ファンです』と言う人が来てくれました。『同人』ってこういうことなんだな、自分の好きなものを書いて売れる世界が妙な権威から離れたところで存在する。ここに関われる事はとても嬉しいなと感じました」