コロナが可視化したグローバル資本主義の限界
インタビューの中で私は、斎藤さんの著作が注目された理由として、環境問題を中軸に据えたこと、マルクスの思想課題をさらに突き詰めようとした意外性という二点があるのでは、と問いかけた。斎藤さんはすぐに、「もう一点あると思う」と答えた。
「それは、コロナというパンデミックと、出版の時期が重なったことです。経済がすべて順調で、社会が安定していた時期なら、『人新世』という言葉も理解されず、本もこれほど読んでいただけなかったかもしれません」
その意味はこうだ。パンデミックは宿主の動物に接触して人に感染したウイルスが、ヒトヒト感染型に変異して広がる。それが瞬く間にパンデミックになったのは、ヒト・モノが膨大に行き交うグルーバル化の時代になっていたからだ。これまで世界経済は、絶えざる経済成長、あくなき技術革新による競争に明け暮れてきたが、ふと気づけば、私たちを感染から守るすべは隔離や手洗い、マスク着用といった原始的な手段しかなかった。
しかも、感染は平等に人に襲いかかるといっても、そのリスクは、日々現場で仕事をせざるを得ないエッセンシャル・ワーカーや、貧しい人々・地域に集中している。ワクチンができても、まず豊かな先進国が手に入れ、「グローバル・サウス」の国や地域、人々は、後回しにされてしまう。
「コロナによって人々が気づいたのは、私たちはこの社会を、もっとエッセンシャルなものを大事にし、持続可能なものに変えていかねばならない、ということだったと思う。今の危機に立ち向かうには、マルクスが向き合ったように、資本主義というシステムそのものや、成長主義の限界に挑み、もっと大胆に社会を変えていかねばならない。今回の危機は、そうした私の主張に興味を持って頂ける機会になったかもしれません」
コロナが可視化したものは、グローバル資本主義の限界だった、と斎藤さんは指摘する。第2次大戦後、1950年代、60年代は資本主義の「黄金期」だった。インフラが整備され、車やエアコン、テレビが家庭に普及し、生活水準は改善された。それは経済のパイが大きくなる例外的な時代だったからだ。だが20世紀末に近づくにつれ、GDPの伸び率は鈍化し、資本家は自らの取り分を増やすことに躍起となる。むしろ、19世紀的な世界観への逆行だ。
実体経済は成熟状態に入り、国内市場は飽和状態に近づいて買い替え需要も落ちていく。設備投資をして何か新しいものを作るというインセンティブが落ち、資本は企業に内部留保し、そこから金融市場に投資して稼ぐ道を選ぶようになる。資本主義はすべてを商品化し、需要を喚起するため、それまで誰もが享受できていた水や電気、医療や教育などにも格差が生まれ、最低限必要な暮らしを維持することも困難な貧困層を生み出す。
他方、先進国の市場が飽和しているため、資本は周辺国にフロンティアを求め、安価な労働力や資源、環境を収奪するようになる。これがグローバル化だ。その結果、「グローバル・サウス」の環境や労働条件はさらに悪化するが、生きるために彼らはその環境や条件の劣化を受け入れざるを得ない状況に置かれている。
斎藤さんは、こうした際限のない現在の成長主義を続ければ、すでに進行している環境危機をとめることはできず、格差は広がり続けるという。
「こうした行き詰まりを打破するため、もう一度実体経済を活性化しようとして提唱されたのが、グリーン産業です。技術革新で効率化を図って脱炭素を目指し、再生可能エネルギーにシフトし、社会のインフラそのものを取り替える。政治家も財界も、そこに希望を託している」
だが、「人新世の『資本論』」が論証しているように、経済成長と排出量の「デカップリング」は困難だ。大量生産大量消費のスタイルを変えない限り、効率化は新たな需要を喚起し、環境負荷をさらに高める悪循環に陥りやすい。では、代替策はあるのだろうか。
「今回のパンデミックを通して、二つの議論が注目を集めた。一つはベーシック・インカムです。全ての人に最低限生きていく上で必要な金を配ろうという考えです。パンデミックの下で、そうした一律給付金を配る国も少なくなかった。だがこれは、社会運動や労働運動が弱まっていることの裏返しとも言える。ベーシック・インカムにするなら年金や社会保障もなくす、という議論を招きかねない。もし本来のベーシック・インカムを実現する力があるなら、資本主義システムを大きく変えることもできるはずです」
斎藤さんが挙げるもう一つの議論は、「MMT」(現代貨幣理論、現代金融理論)だ。自国通貨建てで国債を発行できる日米のような国は、財政破綻しないので、より財政を拡張し、所得や雇用を増やすべきだ、という主張だ。こうした政策を採ればインフレが懸念されるが、デフレ脱却を目指すアベノミクスのもとでは物価上昇目標に届かず、皮肉な形でこの主張を後押しした。コロナ禍の下で、巨大な財政出動で危機に対処する国は多く、結果的に「疑似MMT」になった、との指摘もある。だが斎藤さんはこういう。
「これまでの経済危機にあたって、MMT的な財政出動をしても、その多くは成長目的以外には使われてこなかった。過剰流動性は株や金融・不動産市場に向かい、バブルを生んでは弾けていくという繰り返しだった。コロナ禍でも株や不動産が高値を続けるという逆説です。MTTは、根本的な格差をなくしていく、という方向に働く保証はどこにもない」
では、斎藤さんにとって、脱成長を目指す「ポスト資本主義」のモデルとは何か。そして、その萌芽はあるのだろうか。