外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(39)斎藤幸平さんに聞くコロナと「人新世の『資本論』」

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マルクス再発見

   もう一つ、斎藤さんの著書が注目を集める理由は、斎藤さんがこの本で「資本主義の限界」を見極める手法として、カール・マルクスの論考を参照枠としている点だ。

   多くの読者は、「いまさら、なぜ?」という素朴な印象を抱くのではないだろうか。マルクスといえば、もう「克服」された思想家であり、「忘れられた」思想家、というのが世間の通り相場だろうから。

   いわく、マルクスは資本主義の現状分析においては成果を上げたが、それを史的唯物論として定式化し、社会主義、共産主義の到来を未来の法則とした点に誤りがあった。

   いわく、マルクスは社会の下部構造を絶対化し、それに規定される上部構造を軽視した。いわく、彼は疎外論にのみこだわり、人間の主体性については十分に論じないうちに終わった。

   いわく、絶対的窮乏説は、修正資本主義によって克服され、階級は、あるいは少なくとも階級意識は消滅した。

   いわく、その唯物論と、歴史的必然性という言説は、共産党前衛による一党独裁と、計画経済に帰結し、専制と非効率な経済運営は、旧ソ連の崩壊へとつながった。

   挙げていけば、きりがない。戦前・戦中の社会主義思想弾圧への反動から、戦後はこの国の思想界・言論界の主流となっていた「マルクス主義」は、高度消費社会になってからすっかり賞味期限が切れ、一部の思想家や批評家を除けば、忘れられていた。

   その思想界の移ろいは、「たらいの水と一緒に赤子を流す」というものだったろう。

   だが、斎藤さんによると、世界に目を転じれば、欧米では近年、急速にマルクスへの注目が高まっているのだという。しかも、昔の文献を再解釈することによってでなく、新資料をもとにした研究が、その関心の基盤にある。私も全く知らなかったが、世界各国の研究者が「MEGA」と呼ばれる新しい「マルクス・エンゲルス全集」の刊行を進めており、最終的には100巻を超すことになるという。

   「マル・エン全集」といえば、日本語でも大月書店が刊行しており、手に取った人は少なくないだろう。だが、それは「著作集」であり、実際には公開されていない膨大な草稿、研究ノート、新聞への寄稿、手紙などがあり、そのすべてを網羅するのが「MEGA」プロジェクトなのだという。とりわけ、ロンドンの大英博物館でマルクスが本を借りては抜き書きをした「研究ノート」は、これまで他の著作の抜粋として片づけられ、研究者も顧みてこなかった。このノートが現在、全32巻の資料として、初めて整理され、公開されつつあるのだという。

   私たちの「マルクス理解」の大本にあるのは、1848年にエンゲルスと共に書いた「共産党宣言」だろう。それをもとに、マルクスを論じる人も少なくない。マルクスはその19年後に「資本論」を刊行し、それが彼の代表作になった。その後、マルクスは1883年に亡くなるまで、約15年ものあいだ、ほとんど著作を公にせず、研究を続けた。「資本論」の第二巻、第三巻は未完に終わり、エンゲルスがマルクス没後に遺稿を編集し、出版した。だがもともと二人の見解が違っているうえ、エンゲルスが後期マルクスの研究を十分に参照し、編集に活かしたとは言い切れない。

   つまり、「MEGA」プロジェクトとは、刊行された著作を再解釈したり、新たな解釈を提起する場ではない。それは、彼が残した草稿や研究ノートをもとに、後期マルクスの問題意識や関心領域を探り、彼が資本論の続巻でどのような議論を展開しようとしたのかを研究し議論する現在進行形の場なのである。

   斎藤さんは日本MEGA編集委員会編集委員を務める。

   つまり、この著作は、後期マルクスをめぐるMEGAの最新の実証研究をもとに、もしマルクスが21世紀に生きていれば、どのような議論を展開していたのかを論じる本なのである。

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