物に埋もれて生活するくるみが、料理人たる駿に出会うのは「必然」
ドラマ以外でもその食べっぷりを評価されるところからして、恐らく、川口さんの食べっぷりの良さは「素」であると見て良いだろう。それを買われ、ドラマで食事シーンが頻発しているとすれば、川口さんという「素材」を生かしていると言えそうだ。
ただ、その川口さんが「着飾る恋には理由があって」で「食べる」という行為を行うのは、それ以上の意味はありはしないか。というのは、川口さんが「食べている」という状況が、実は、作中で本人が「着飾っている」という状況のアンチテーゼに思えてならないからだ。
というのも、川口さんは作中ではインテリアメーカーの広報担当者として働く真柴くるみを演じているが、その職業柄、川口さんはその都度華やかな衣装で出演し、そして、その設定上、くるみの自室にはこれでもかと多数の服が並んでいる。そして、その私物の多さには、1話で横浜さん演じる駿が、「しかしまあ、何をこんな溜め込んでんだか。カオスだね」と評するシーンがあるなど、くるみが、その私物の多さゆえに「物に埋もれて生活している」ことが描かれているのだ。
しかし、一方の駿は1話で明らかになった通り、徹底した「ミニマリスト」。必要ないものをこれでもかとそぎ落とした生き方で、時にくるみと対立することもあるが、そのくるみは徐々に駿の価値観を理解し始めるというのが本作の本線。そして、その駿の職業は料理人という、「その場で消滅するもの」を作ることを生業としているところからすると、くるみの目の前に現れる駿の職業が料理人というのは、物語の本線を維持しようとするならば、それこそ必然の設定なのではないだろうか。
つまり、常に着飾りながら働き、「その場で消滅しない」服をため込みつつ日々を送るくるみと、常に不要なものをそぎ落としながら「その場で消滅するもの」である料理を作ることを生業とする駿の生き方が作中で対比されているのではないかということである。
作中で川口さんが食べている料理の全てが駿が作ったものではないが、それでも、1話ではカレーを、そして、2話では炒め物を、そして、4話では餅とそばを横浜さんの目の前で表情豊かに食べていた川口さん。これら、川口さんが食べっぷり良く勢いよく食べるシーンは、ともすれば物に埋もれてしまいがちなくるみが駿の価値観を取り込み、その価値観が変化していくことを象徴しているのではないだろうか。
(J-CASTニュース編集部 坂下朋永)