インターネット黎明期の90年代後半にチャットで仲良くなった小学生の「れな」と「ひな」が、20年越しに再会を果たした。環境の変化で長らく疎遠になっていたものの、様々な偶然が重なり、ふたたび親友になった。
大人になった2人が、当時のエピソードとともに再会の喜びをツイッターで共有すると、「映画みたいな実話だ」「本当に良かった」と大きな反響を呼んでいる。
家庭用ゲーム機「ドリームキャスト」が縁
主人公は、クサカアキラさんとmihoさん。
クサカさんは大阪市内のバーで働くかたわら、動画共有サイト「ニコニコ生放送」の配信や歌手活動をしている。mihoさんはメタルバンド「LOVEBITES(ラブバイツ)」のベーシストとして活躍する。
2人は約20年前、セガの家庭用ゲーム機「ドリームキャスト」のチャットで知り合った。同機はネット通信用モデムを標準搭載し、ゲームはもちろん、ネットの閲覧、メール、グループチャットが楽しめた。クサカさんは「れな」、mihoさんは「ひな」のハンドルネームで、チャットに夢中になった。
小学生の利用者は珍しく、ゲーム音楽という共通の趣味もあってすぐに意気投合した。学校から帰宅すると、すぐにドリキャスを起動し、毎日のように"会話"した。しかし、小学校卒業を機に音信不通になってしまった。それでもお互いを忘れたことはなかった。
そして2021年4月、ある動画でクサカさんの近況を知ったmihoさんが、ライブで大阪を訪れた折に勇気を出してバーに会いに行く――。2人が2021年4月4日、お互いの視点で当時の思い出や再会の感動をツイッターに投稿すると、多くの人の琴線に触れて約20万「いいね」を集めた。
クサカさんは「"ひな"...改め、"ミホ"と私は今日から改めて友達を始めました」「ありがとうドリキャス。ありがとうネット黎明期。ありがとう今の私たち」と感謝を伝え、mihoさんは「勇気を出して訪れてよかったと思う。彼女と20年ぶりに、また友達になれたから。これからよろしくね!!」「そして、また何度だって会おうね」と応えた。
「何歳ですか」「近いね」
あらためて2人に当時を振り返ってもらった。
――当時はまだネット利用者は少なく、小学生となるとなおさらです。触れたきっかけは何でしたか。
mihoさん:当時一緒に住んでいた叔父がITに詳しくてパソコンを持っていたので、たまに触らせてもらっていました。その後、遊びたいゲームがあってドリキャスを買ってもらいました。ネット体験ができるイベントに参加して、メールやチャット、ネットサーフィンにハマりました。
クサカさん:小学3、4年のころから、母親の職場のパソコンをずっといじっていました。ゲーム音楽が好きなので、耳コピのMIDIファイル(音楽データ)をディグ(探す)していました。ただ、自由に使えなかったので、ドリームキャストは夢の機械でした。ゲームなのに自分のパソコンのように使えると飛びついて、親に買ってもらいました。
――チャットでの思い出は。
クサカさん:当時はチャットが当たり前ではなかったので、始めるのにとても勇気がいりました。ドキドキしながらやっていたと思います。
mihoさん:利用しているのが若くても高校生で、小学生で女の子はなかなかいなかったよね。チャットルームに入って、「何歳ですか」「近いね」「どこ住んでるの」みたいな会話をしていたと思います。今考えると小学生がネットをやるのは怖い面がありますが、当時は個人情報をまき散らしたりするような人は周りにはいなかったです。
クサカさん:まだ相手が人間なのだと意識が持てていた時代だよね。ひな以外とも交流しましたが、なぜかひなと出会って仲良くなった思い出だけ覚えています。
mihoさん:私は何人かと仲良くなっていました。ホームページを持っていたので、そのつながりもありました。今回、話題になったのを機に、思い出した人を調べてツイッターでフォローしあったりもしました。
れなはオタクだけどイケてるイメージでしたが、私はもっとコアにオタクを進んでいって。ゲーム音楽が好きで、共通点を感じてメタルにのめり込んでいたらいつの間にかメタルバンドのベーシストになっていました。
クサカさん:私もゲーム音楽が好きですが、当時は周りで良さを分かってくれる人がいませんでした。mihoのホームページを見たら、昔はまだ著作権が緩かった時代で美少女ゲームのMIDIが流れていて。「うわー、この子こういう曲好きなんや」って嬉しくなりました。
お互いホームページを作っていたことも仲良くなれた理由でした。(ホームページ作成サービスの)ジオシティーズはドリキャスからでも比較的簡単に作れたので、HTML(ホームページ作成に必要なコード)をコントローラーで打っていました。今じゃ考えられないですよね、ファミコンのドラクエの復活の呪文を手打ちするみたいな(笑)そういう面倒くさいことをやりつつもmihoも私も楽しかった。
「嫌われたらどうしよう」緊張した初めての電話
――チャットで親しくなってからは、メールで電話番号も交換されたのですよね。初めて電話した時を覚えていますか。
mihoさん:関東に住んでいたので、06の番号(大阪府の市外局番)にかけるのはとてもドキドキしました。うわー、かっこいい、06だ!って。
クサカさん:私もむちゃくちゃドキドキしました。チャットで会話していたけど、実際に話して盛り上がらなかったらどうしようとか、嫌われたらどうしようとか。色々なことを考えて緊張しながら電話したら、ひなに「めっちゃ大人っぽい声してるね」って言われたのを覚えています(笑)。たしか「どんな家に住んでるの?」「学校楽しい?」というような話をしたと思います。
――ただ、小学校卒業を機に自然と疎遠になってしまったと伺いました。それからお互いを思い出す場面はありましたか。
クサカさん:ふとした瞬間に「そういえばひな元気かな」と思うことはありました。20歳くらいの時からニコニコ生放送を始めたのですが、放送内で何度かひなとの思い出話をしていたらしいです。今回、話題になって、リスナーから「あの子に会えてよかったね」とメッセージがありました。思い出せる限りのひなの情報で調べたこともありましたが、見つからなくて諦めていました。
mihoさん:れなは大人っぽくて憧れで、彼女の真似をしながら生きていた部分があります。人生でこんなかっこよくて、面白い人はいないなと。会ったことがなくても、忘れたことはなかったです。
10年前くらいかな、ニコ動を観ていたら「化粧で大変身する女性」という動画が注目を浴びていました。れなの顔は知らなかったですが、こんな喋りが面白い人、ほかにいないとすぐにわかりました。声も特徴的だったので鮮明に覚えていました。
そのとき連絡すれば会えたかもしれませんが、急に会っていいものかと踏み出せませんでした。その時はまだ趣味でバンドをやっていた程度で、一方、アキラは有名人じゃんって。気後れしちゃったんです。今はユーチューバーがたくさんいたり、ミュージシャンもSNSをやっていて気軽につながれますが、アキラの動画がバズった時はまだ(影響力のある発信者は)身近じゃない印象がありました。
クサカさん:私たちが出会ったのがネット黎明期で、今が過渡期だとしたら、ちょうど間くらいの時に私の動画がバズったんで。いや、でももっと早く連絡してよ(笑)
見知らぬ来店客、「20年前にドリキャスで...」
――mihoさんがお店にいらっしゃった時、すぐにわかりましたか。
クサカさん:夕方で「店暇やなー、こんな時やしなー」って考えていた時に、トランクを引いたひなが入ってきました。軽くあいさつをした後に「今日は何で来てくれたんですか」と聞いたら「アキラちゃんの...」って切り出されて。「ニコ生のリスナーさん?」と返したら、まさかの「いや20年前に、ドリキャスで...」と言われて。すぐにひなってわかって、嘘やろーって絶叫しました。ひなは思い出の中の人で二度と会うことはないと思っていたので、まさかこんな形で会うとは予想できなかったです。
話をしてすぐにブランクがなくなりました。20年ぶりで、しかも当時半年くらいしか喋ってなかったはずですが、すんなり色々なことを話せて。ひなの性格は覚えてなかったけど、変わってないなと感じました。
mihoさん:実は約一年前に大阪を訪れた際にも会いに行きたいと考えていたんです。ただ、その時はコロナ禍かつ全国ツアーの最中ということもありなるべく外出を控えるようにしていて...。今年4月に全国ツアーの最終日に久々に大阪へ行けることになったんですが、また次はいつ来られるかわからないなと不安もあって。不謹慎だけどこのコロナ禍のせいでアキラのバーも閉店してしまうかもしれないし、お店を開いていてくれるのは私が会いに行けるチャンスだな、会いに行かないと一生後悔すると思って決意して。感染対策には十分気を付けつつ、会いに行きました。
――SNSでの反響については。
mihoさん:ツイートをきっかけに、「私も昔仲良かった人に会いたくなった」「mihoみたいに連絡とったよ」という人がいて、すごく嬉しかったです。
クサカさん:そうそう。昔でいう"ネッ友"に思いをはせて、「私も昔、○○のゲームでお世話になった○○さんにありがとうって言いたい」という書き込みもあってホクホクしました。mihoもツイッターで書いてくれていましたが、こんな環境だけど会いたい人には会いに行けるうちに会いに行って、『会いたかった』と伝えるのはすごく大事なことだと気づかされました。
mihoさん:昔の知り合いから久々だねって連絡もきて、インターネットって素晴らしなって改めて感じました。ほかの人にちょっとでも影響を与えられたのは光栄だなと思います。
クサカさん:小学校の仲良しグループにひなを電話で紹介したことがあったのですけど、今でもツイッターでつながっている一人が、「その子覚えているよ~」とリプライもくれました。
私たちの再会をみんなが祝福してくれて、みんなにもその幸せがおよんでいるっていうのはダブル奇跡。しかも、ドリキャスっていうところがすごい。今はゲームの中のチャットや、ネットで、共通の趣味で仲良くなるのはあるあるですが、私たちはネットの荒野の中で出会ったみたいなものなので(笑)
mihoさん:ドリキャスは当時、時代を先取りしすぎって言われていましたけど、あの時出してくれて感謝でいっぱいです。ドリキャスのおかげで今の私があると思っています。復刻版として「ドリキャスミニ」勝手に楽しみにしています!
クサカさん:開発者の熱意が伝わってくるソフトも多かったよね。「ルーマニア」(ドリキャスのソフト)の続編出してください。お願いします!
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セガ広報部の話:ちいさな世界での限られた人との交流から、ドリキャスが広い世界への「扉」となったこと、とてもうれしく思います。20年ぶりにmihoさんが開いた出会いの扉を通じて、ドリームキャストでつながる素敵な逸話を聞くことができ、私たちも素敵な追体験ができました。
まさに、世界中の人と人をつなぎ、夢をつなぐゲーム機として誕生したドリームキャストらしいエピソードで、世界のあちこちでつながり、出会った人がいたであろうことを実感いたしました。ありがとうございました。
(J-CASTニュース編集部 谷本陵)
昔のゲーム機「ドリームキャスト」のチャットで小学生の時仲良くなった女の子と、20年の時を経て初めて会った話を聞いてください。 pic.twitter.com/ssHAEPMR4b
— クサカアキラ (@Akira_Kusaka) April 4, 2021
「ドリームキャスト」のチャットで小学生の時仲良くなった女の子に、20年の時を経て初めて会いに行った話。
— Rosana:miho@LOVEBITES (@miho_dotdotdot) April 4, 2021
私の言葉でも書いてみました。 pic.twitter.com/frOKQRVlFg