外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(38)坂東眞理子さんと考える「男女格差」

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   今年の世界の男女平等ランキングで、日本は156カ国中120位だった。なぜ男女格差を克服できないのか。一貫して格差解消に取り組んできた昭和女子大理事長・総長の坂東眞理子さと共に考える。

  • 坂東眞理子さんの理事長ブログ/昭和女子大HPより
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日本はなぜ「変えられないのか」

   世界経済フォーラム(WEF)は2021年3月末に「世界のジェンダーギャップ報告書」を発表した。これは06年に始まり、今回が15回目。教育・健康・政治・経済の4分野14項目で、100%を「完全な平等」として、各国の達成度を指数化している。

   日本は156カ国のうち120位。主要7カ国(G7)のうち6番目のイタリア63位からも大きく引き離され、最下位だった。

   06年に80位から出発した日本は、09年に101位に落ち込み、続く2年は90位台を記録したものの、12年以降はずっと100位以降を低迷し、昨年は最悪の121位まで落ち込み、今回もほぼ同じ水準だ。

   なぜこれほど格差が大きいのか。分野別にみると、「健康」では65位、「教育」では92位だが、「経済」が117位、「政治」が147位と、政治・経済が大きく全体の足を引っ張っていることがわかる。

   これについては過去最低となった昨年3月、WEPも「日本はどのように格差を縮小できるか」という報告を出し、問題点を指摘した。

   それによれば、日本は前年より11ランク、06年の第1回に比べ41ランクも世界順位を落としているが、改善の鍵となるのは政治と経済の分野だ、と指摘する。

   政治部門の格差は世界最低10位のグループに属しており、国会議員の女性比率約10%は先進諸国に比べ20%も低い。経済における管理職は15%に留まり、女性の平均賃金は男性の半分しかない。これは、女性が男性の4倍も家事労働に時間を割いている結果であり、男女の賃金ギャップは、経済協力機構(OECD)加盟国では韓国に次いで大きい。女性が進出できないのは「無意識のバイアス」があるためで、伝統的なジェンダー役割に対する社会的な期待が進出を遅らせ、あるいはハラスメントなどの障害を作り出している。政治と経済は相関関係にあり、「クオータ制」の導入やインセンティブで社会進出を促せば、相乗効果が期待できる。

   報告書は、まさにその通り、というしかない程的確に、問題点を指摘している。だが、改善点が明らかになっても、問題はおそらく解決しない。この間、日本が一貫してランクを落とし続けているのは、男女の格差が拡大し続けているからではない。世界の大勢が大きく変化を遂げたのに、日本だけが旧態依然に留まり、相対的に平等の度合いが落ちているためだ。つまり問題は、「どう変えるのか」という点にあるのではなく、「なぜ変えられないのか」という点にある。

日本の格差解消への道のり

   坂東さんに話をうかがう前に、男女平等に向けた日本の歩みをざっと振り返っておきたい。その歩みが、坂東さんのお仕事にほぼ重なっているため、理解しやすくなると思うからだ。

   戦後の男女格差是正の歩みには、大きな節目が二つあったと思う。一つは1985年の男女雇用機会均等法の制定であり、二つ目は1999年の男女共同参画社会法の制定だ。前者は雇用・労働面における男女平等を目指し、後者はより広範に、男女の格差のない社会づくりを目標にした。

   その最初の節目を、私は学芸部家庭面の記者として、肌に感じながら取材する機会があった。私は新潟、横浜支局を経て1983年8月から、87年6月に社会部に移るまで、当時の学芸部家庭班に在籍した。

   当時の学芸部は、文化・娯楽・家庭の3班に分かれ、新入りはまず家庭面で仕事をし、やがて娯楽・文化へと移るのが一般的だった。ちなみに学芸は連載漫画、連載小説、囲碁将棋も担当しており、間口は広い。

   だが当時はまだ世間や取材相手にも「序列」意識が強く、文化・娯楽・家庭の順に「格式」が高いとされていた。ある映画監督・作家の方に家庭面の記者が取材をしに行ったところ、「馬鹿にしているのか」と断られたという逸話が伝わっていたほどだ。

   つまり、誤解を恐れずにいえば、当時は家庭班がまだ「大人」ではなく、「女こども」を相手に取材している記者集団とみなされていた。社内にあっては学芸・科学・運動3部は「バルカン3部」という異称で呼ばれ、「小さいが、対策を誤れば民族独立運動の火種になる」と冗談交じりに語られることもあった。

   私は政治・経済・社会といった部には興味がなく、もっぱら「暮らし」に根差した取材こそ新聞の原点と思い、取材に遣り甲斐も感じていた。家庭面は、新聞社には例外的な場所で、もともと記者クラブに属さない。全く手掛かりのないところから、企画を立ち上げ、記事にする。社会を黒や赤、青で色分けして世相を探る「街のパレット」や、若い男性記者が家事に挑戦する「キホンノキ」、子どもの素朴な質問を専門家にぶつけて紙面で紹介する特集など、料理や育児、健康問題など、暮らし全般を手掛ける「第2社会部」のような趣があった。

   ところが、その家庭面が1985年、大きな紙面改革の焦点になった。きっかけは男女雇用機会均等法の制定だ。それまで「専業主婦」を主たる潜在読者として想定していた紙面が、時代にそぐわなくなったことに、新聞社も遅ればせながら気づくことになった。

   そもそも、「家庭」面を「女子ども」の紙面とみなすこと自体が思い上がりであり、差別や偏見の温床ではなかったのか。政治・経済・社会と切り離して「家庭面」をつくることは、男女の性別による格差や社会的な役割を固定化し、再生産することではなかったのか。家庭班では数か月にわたって激論を続け、それまでの紙面を倍増して教育、医療、労働問題などを幅広く扱うようになった。つまり、「家庭=女性、社会=男性」という役割分担を改め、女性も男性も共に暮らし、生きる場として、「家庭」を再定義する宣言だった。当然、それまでは視界の辺縁にあった「働く女性」や「シングル」、「主夫」も、専業主婦のテーマと並んで中心に据えられた。

世界女性会議 変わる世界の潮流

   男女雇用機会均等法は、いわば「黒船」だった。それは確かに社会の流れを象徴する必然だったが、背景には、男女平等をめぐる世界の潮流の大きな変化があった。

   1975年、メキシコシティで国連第1回世界女性会議が開かれ、世界行動計画を定めると同時に、翌年から1985年までを「国連女性の10年」として集中的にキャンペーンを展開することが決まった。その成果として1979年に国連総会で女性差別撤廃条約が採択された。日本は1980年に署名したが、その批准は「国連女性の10年」の最終年の1985年。男女雇用機会均等法は、「滑り込みセーフ」のぎりぎりで国内法が整備された結果だった。

   つまり、男女雇用機会均等法や99年の男女共同参画社会基本法は、女性差別撤廃条約という包括的な人権宣言文書の波及であり、その大きなうねりを理解しないことには、趣旨を徹底することもできない。ちなみに世界女性会議はその後も「国連女性の10年」の中間である80年にコペンハーゲン、85年にはナイロビ、95年には北京でも開かれ、各国に大きな影響を与えてきた。95年の北京大会では、世界から5万人、日本からも5千人以上が参加し、沖縄県からの参加者は、帰国直後に、米兵による少女暴行事件を知り、女性に対する構造的な暴力・差別に対して抗議し、「島ぐるみ」と呼ばれる基地反対運動の先陣を切ることになった。

   女性差別撤廃条約は、6部からなる文書で、女性差別を次のように定義した。

性に基づく区別、排除又は制限であって、政治的、経済的、社会的、文化的、市民的その他のいかなる分野においても、女子(婚姻をしているかいないかを問わない)が男女の平等を基礎として人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを害し又は無効にする効果又は目的を有するものをいう。

   この条約は、女性差別につながる国内法の是正を義務付けており、日本の場合は3つの点が問題にされた、第1は、子が日本国籍を得られるのは父親が日本国籍の場合に限られるとした「国籍法」だ。これは1985年に改正され、母親が日本国籍の場合も得られることになった。第2は家庭科の履修問題だ。それまで男子は技術、女子が家庭を履修していたことが、教育における男女平等を妨げるとみなされた。当時の文部省は1989年に学習指導要領を改正し、1994年以降は男女共通の必修科目として「家庭一般」「生活一般」「生活技術」から選択できるようになった。

   そして第3が最難関の雇用問題だった。国内では1972年に勤労婦人福祉法が制定され、育児休業や母性健康管理の努力義務を掲げていたが、これは女性がもっぱら家庭の責任を負うという男女の役割分担を前提としており、差別撤廃という点ではさまざまな問題があった。そこで、男女平等に社会・家庭の責任を負うという観点からこの法律を改正し、同時に労働基準法にあった女性保護の条項も改め、条約批准にこぎつけた。もっとも、事業者に課せられたのは「努力目標」が多く、違反しても強制力はなかった。そこで1999年の改正ではセクハラへの事業者配慮義務や、ポジティブ・アクション(積極的改善措置)などの規定が盛り込まれ、2007年の改正でも間接差別の禁止などが盛り込まれ、今に至っている。

男女共同参画社会は打ち出されたが改革に遅れ

   日本では1999年、男女共同参画社会基本法が制定された。これが二つめの節目だ。

   この成立にあたっても、国際社会の潮流は見逃せない。

   前に触れたように、1995年には北京で国連による第4回世界女性会議が開かれ、日本からも5千人以上が参加した。その盛り上がりを背に、総理府男女共同参画審議会は翌年、「男女共同参画ビジョン~21世紀の新たな価値の創造」という答申をまとめ、男女共同参画推進本部は新たな国内行動計画「男女共同参画2000年プラン」を作った。

   これは、「我が国は、国際的な指標で他国と比較しても女性の能力の発揮の機会が十分とはいえない状態にあり、特に公的部門での政策・方針決定過程への女性の進出が遅れている」という認識のもとに、雇用に限らず、あらゆる分野で男女が平等に参画する社会を目指すビジョンだった。このビジョンには、

   「男女共同参画社会の実現を促進するための基本的な法律について、速やかに検討すべき である」との文言があり、これが基本法の成立につながった。

   この法律は、「男女共同参画社会」について、次のように定義する。

男女が、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会(同法第2条)。

   これまでになく包括的・網羅的なだけでなく、社会、家庭について男女双方が参画することを求める点や、国・地方団体にその実現のための責務を明確にした点で、これまでの施策の集大成だった、といえる。

   この法律に基づき、2000年から2020年まで5年ごとに、男女共同参画基本計画が作られてきた。

   これとは別に、2012年に発足した第2次安倍晋三内閣は、少子高齢化社会に向かう日本において、女性を「わが国最大の潜在力」と位置づけ、その活躍を成長戦略の中核に据えた。これがのちに「女性が輝く社会」という看板で知られるようになった一連の政策だ。

   2013年の「日本再興戦略」では、「女性の活躍促進や仕事と子育てなどの両立支援に取り組む企業に対するインセンティブの付与」、「女性のライフステージに応じた支援」、「男女が共に仕事と子育て・生活などを両立できる環境の整備」という3つの柱を打ち出した。待機児童解消のための保育所などの整備や保育士確保、育児休業給付の拡充などを盛り込んだ。

   翌年の「『日本再興戦略』改訂2014」では、「育児・家事支援環境の拡充」、「企業などおける女性の登用を促進するための環境整備」、「働き方に中立的な税・社会保障などへの見直し」の3本柱を掲げた。

   安倍政権はこの年、全閣僚を構成員とする「すべての女性が輝く社会づくり本部」を設け、翌年には、早急に行うべき「政策パッケージ」をまとめた。

   だが、2016年2月に「保育園落ちた日本死ね」という匿名ブログが待機児童をもつ親の間で大きな反響を呼んだように、女性の労働をめぐる環境改善は遅々として進まず、コロナ禍が広がってからは、さらに悪化している。

   男女平等に向けたその後の改革の遅れは2020年12月に発表された第5次男女共同参画計画にも明らかだ。

   今回の計画では、03年から掲げ、前回計画でも維持してきた「2020年までに指導的地位の女性30%を目指す」という「202030」目標を断念し、目標達成を「20年代の可能な限り早期に」と先送りした。このままでは、「2030年までに50%を目指す」という国際水準とは、さらに差が大きくなりそうだ。

   また、女性差別撤廃条約の「選択議定書」については、今回も明確な指針が示されなかった。「議定書」では条約が保障する権利が侵害され、裁判などの国内救済手続きでも救われなかった際に、個人・団体が国連の委員会に直接救済を申し立てられる「個人通報制度」を定める。条約の実効性を高め、国内の権利侵害を国際標準で審査することに門戸を開く。選択議定書は99年に国連で採択され、世界114カ国が批准しているが、日本は20年以上経っても「検討」を続けたままだ。

大学キャンパスから見たコロナ禍

   以上見てきたように、海外での潮流の変化を受けて、日本はそれなりに男女格差是正の理念を掲げ、法改正や施策を重ねてきた。だが、大きく舵を切った外国が目覚ましい変化を遂げるなかで、日本は21世紀に相対的に大きく出遅れ、今も浮上の見込みが立たないのが現状だ。それは、この問題がいかに深く日本の伝統や文化、慣習にビルトインされ、変わりがたいのかを裏返しに物語っている。

   坂東眞理子さんは1969年に東大文学部を卒業し、総理府(現内閣府)に入省。婦人問題担当室専門官などを経て米ハーバード大客員研究員になり、内閣広報室参事官などを勤めた後、94年に総理府男女共同参画室長、になった。その後、埼玉県副知事や在豪州ブリスベン総領事などを経て2001年から03年まで内閣府男女共同参画局長を務めた。これまで見てきたように、文字通り「男女共同参画社会」の創成期から定着するまでを、一線で見守ってきた方だ。その坂東さんに4月12日,ZOOMで話をうかがった。

   坂東さんといえば、国民的ベストセラーになった「女性の品格」をはじめとする数々の著書を思い浮かべる人が多いだろう。あるいは昭和女子大理事長・総長として、国際化や地域貢献に取り組み、抜群の就職率で成功を収めるに至った大学改革の手腕でも世間に知られている。だが一方では昭和女子大教授、女性文化研究所長なども務め、女性政策や男女共同参画社会の理論的な支柱となってきたことも見落とせない。

   インタビューはまず、今年4月2日、人見記念講堂で開かれたばかりの入学式の話題から始まった。昨年は創立100周年を迎えながら、コロナ禍で対面での入学式を見送らざるを得なかった。参加者は新入生に限り、感染防止のため1席ずつ空けて着席し、保護者にはユーチューブでのライブ配信だったが、ともかくも2年ぶりの対面での入学式が実現した。

   坂東さんは、「コロナがなかったらいろいろなことができたのに、というのではなく、今できること、今だからできることに精一杯打ち込んで、機会を十分に活用してほしい」と語り、「ガールズ・ビー・アンビシャスとは、自分をより良くしていく、より高みを目指す。よりあらまほしき姿を目指すことです」と激励した。

   これは昨年来、坂東さんが唱えてきた「Never Waste Good Crisis(この危機を無駄にするな)」にも通じる言葉だ。昨春は、東京都に緊急事態宣言が出される前日に、「今だからできることをするヒント」の8項目のメッセージを学生に向かって発信した。「時間ができたら」と後回しにしていた読書や語学の勉強、時間のかかる趣味に取り組むなどのヒントだ。学生は対面講義やアルバイト、サークル活動などが断ち切られ、一種の「真空地帯」に置かれた。しかし、グローバル化や高度情報化が進んだ時代は、いつ何が起きてもおかしくない時代でもある。これからを生きていくには、想定外のことが起きた時に、いかに自分を成長させられるかが問われる。そう考えたうえでの激励のメッセージだった。

   昨年は卒業式、入学式がオンライン方式になり、前期は100%がオンライン講義。後期もゼミや実習を除き、7割前後の講義はオンラインになった。

「この危機を無駄にしない、というのは教員も同じです。オンラインで一方的に講義をしても、学生に90分集中して見てもらえるとは限らない。授業の設計そのものの見直しが必要になります。学生がどこまで知識を身に着け活用できるようになったのかを把握するには、フィードバックや丁寧なレポート指導も必要です。でもそれは、対面授業に戻ったときにもきっと役立つはずです」

   昭和女子大は1988年に米国のボストンにサテライトキャンパス「昭和ボストン」を開き、これまで13000人以上の学生が長期・中期・短期の語学集中講座や交流プログラムなどに参加してきた。また、卒業までに東明学林、望秀海浜学寮などで、教職員と学生が3泊4日の「学寮研修」に参加し、協調性などを養うのが伝統だった。だがこうした活動も、昨年はオンライン方式に切り替えるしかなかった、という。

「でも先日、ボストンの教員とZOOMで話したら、ボストン近郊ではワクチン接種が進んでいて、もう留学に来ても大丈夫といわれました。真珠湾など緒戦では劣勢でも、あっという間に戦略的に逆転をした太平洋戦争でのアメリカの底力を思い出しました」

   大学には、様々な意見や声が寄せられる。昨年7月、昭和女子大では上半期のオンライン授業を終えた翌日に「新入生の集い」を催したが、開催に当たっては「慎重であるべき」という反対意見も根強かった。

   坂東さんは、自由参加方式にして希望者を3回に分け、「密」を避けた上で体温検査など感染防止を重ねた上で、開催を決めた。附属校では授業をしているのに、大学だけはオンライン。何かあったら困る、責任を問われるとしり込みをするのは、ある意味で安全だ。しかし、入学以来、新入生は教師や友人に会ったこともない状態が続いていた。

   「社会の雰囲気に流されず、自分で判断し、選択をして最後までやり遂げる女性を育てる」のが教育方針のはず。坂東さんは、「不要不急の集まりではなく、学生にとって何より大事な集まりなんです」と関係者を説得し、開催にこぎつけたという。

「当時は、もし大学で感染が広がったらご世間にご迷惑をお掛けして、お詫びしなくてはいけない、という風潮が強かったように思います。万全の注意を払って絶対に感染させないという方法を探る前に、何かあったら困る、という慎重姿勢になる。それでは、危機をチャンスに変えることも難しくなるのではないでしょうか」

森元総理にみる「無意識の思い込み」とは

   キャンパスの話に続いて私がうかがおうと思ったのは、日本の政府や行政が、これまで男女格差是正の理念や方針を掲げながら、なぜ変われなかったのか、という点だった。坂東さんの答えは、やはり諸外国の変革のスピードが、遥かに日本を上回る、というものだった。

「国内にいる人は、女性がこんなに登用され、活躍しているじゃないか、と思うかもしれません。でも大半の外国では変化のスピードが速い。その差が、ジェンダー・ギャップの低迷に数字となって表れています」

   03年に政府が「2020年までに、あらゆる分野で指導的地位の女性を30%にする」という目標を掲げたのは、坂東さんが内閣府男女共同参画局長だった時だ。当時、坂東さんは周囲から「そんな目標は達成できるはずがない」と言われたという。17年間経って、2020年時点でも目標の約半分。結局第5次基本計画で、目標の達成時期を先延ばしにすることになった。しかし坂東さんは、「たとえ無理でも、目標を掲げ、女性を登用する機運を醸成した意味はあったと思う」という。

   では、なぜ女性登用は進まなかったのか。坂東さんは、第5次基本計画でも使われ、昨年3月のWEF報告でも指摘された「アンコンシャス・バイアス」という言葉を口にした。たとえば第5次基本計画は、この間に男女平等格差が是正されなかった原因を次のようにいう。

   政治分野において立候補や議員活動と家庭生活との両立が困難なこと、人材育成の機会の不足、候補者や政治家に対するハラスメントが存在することなど(2)経済分野において女性の採用から管理職・役員へのパイプラインの構築が途上であること(3)社会全体において固定的な性別役割分担意識や無意識の思い込み(アンコンシャス・バイアス)が存在していることなどが考えられると総括できる。

   ここにいう「無意識の思い込み」や「無意識の偏見」が、「アンコンシャス・バイアス」だ。これは当事者が意識していないだけに、気づくこと自体が難しく、他人に指摘されても、理解できないという「壁」を生む。

   坂東さんはその例として、今年2月、東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長(83)が、女性蔑視発言をめぐって辞任した例をあげた。

   森元総理は2月3日の日本オリンピック委員会(JOC)臨時評議員会で「女性がたくさん入っている理事会の会議は、時間がかかります」「女性っていうのは競争意識が強い。誰か1人が手をあげていうと、自分もいわなきゃいけないと思うんでしょうね。それでみんな発言されるんです」などと発言した。その場では問題にならなかったが、この発言が報じられると、国際オリンピック委員会(IOC)など海外から強い批判を浴び、辞任に追い込まれた。坂東さんはいう。

「女性という異分子、ニューカマーは、ルールをわきまえない人たち、という無意識の思い込みです。政治でも経済でも、これまでの合意形成のやり方になじまない人が入ってくることに居心地の悪さを感じ、新しい考え方を持ち込むことに抵抗感を覚える。今回の発言は、そうしたアンコンシャス・バイアスの典型なのではないでしょうか」

   こうした無意識の思い込みは、女性の社会進出にとって様々な障壁をつくりだす。たとえば「最初の一歩」の経験を与えられなければ、女性はその仕事に適性があるのか、能力があるのかどうかも示すことができない。そうした機会を閉ざしておきながら、「女性の層が薄い」というのは「無意識の思い込み」だ。そうして、登用されていない、数が少ないという格差の「結果」から、女性一般の適性や能力に疑問符をつけるのは、ことごとく「無意識の偏見」だといってもいいだろう。

   もちろん、「男社会」にも登用される数少ない女性はいる。だがそれは、必ずしも女性だから、という理由というより、男性優位社会のルールを「わきまえている」からと目される場合がある。これにしても、女性の進出が一般的になれば、問題にすらならない「偏見」といえるのかもしれない。

   坂東さんは、こうした「無意識の思い込み」の根底には、日本全体のコンセンサス・システム、合意形成方式があるのではないか、と指摘する。

   たとえば今回のコロナ禍対応でも、日本では外国よりも、強制や罰則に対する社会の反発は根強く、合意によって「同調」することを好む傾向がみられた。

   これはコロナ禍に限らず、たとえば男女平等に対する「クオータ制」導入の議論でもみられた。半ば制度的に強制するのではなく、努力目標を定めて社会で合意を形成することをよしとする風潮が一般的だったという。

「クオータ制導入については、女性からの反発もありました。自分は女性だから登用されたのではなく、実力で認められた。そう思いたいのは、よくわかります。でも、思い切った改革をしなければ、無意識のバイアスを打ち破ることも難しい」

   今回の森元首相の発言で、わずかの救いを感じたのは、その発言に対し、SNSで批判が相次ぎ、外国の批判が風圧となって辞任を余儀なくされたことだろう、と坂東さんはいう。

「外圧で変わるというのは、ちょっとまずいかもしれない。でも、以前は内輪の冗談としてナアナアで済まされたことが、こうして問題になること自体、以前とは『常識』が変わってきているのかもしれません。内向きの顔と、外向きの顔の使い分けが、もう難しくなったのではないか、という気がします」

「ブルー・オーシャンを探そう」

   コロナ禍は世界的に男女の格差を広げ、平等への道を困難にしている。冒頭にあげたWEFの「世界のジェンダーギャップ報告書」はそう指摘した。世界的な感染流行の結果、世界のジェンダーギャップ解消にかかる時間は「99・5年」から「135・6年」へと「一世代分」増えたという指摘だ。もともと、女性の比率が高い非正規の職が削られたうえ、「ステイホーム」で家事労働の負担が増えるなどの影響が出ている。

   だがその一方、政府の閣僚や中央省庁の幹部から始まり、対策本部会議や対策分科会、専門家組織、医師会に至るまで、顔触れはほとんどが「男性優位」となっている。これでは、コロナ対策自体に、「ジェンダーバイアス」がかかり、女性の苦境や困難、悩みが反映されず、一層の負担を強いることは避けられないのではないだろうか。私のその質問に対し、坂東さんはこう話す。

「コロナは、これまで進まなかった在宅勤務を促すなど、変革を加速する面がある。その一方で、人間はそう簡単には変わらない。夫が在宅勤務になって通勤時間がなくなれば、家事をシェアすればいいと思っても、実際には妻が仕事をしながら食事も作り、子育てもする、というケースが少なくないのではないでしょうか」

   バブル崩壊後、景気は回復したのに企業はコストカットで人件費を削り、利益をあげてきた。そのしわ寄せを受けたのは、多くが働きながら子育てをする女性たちだった、と坂東さんはいう。

「子育てをしながらでも働ける。こんな支援も、あんな制度もありますよ、という『マミー・トラック』が、かえって社会進出を阻むトラップ(罠)になっている面があります。それは根底に、子育ては母親の責任、という無意識の思い込みがあるからです。コロナ禍は、そうした女性たちを追い詰めている。打破するには、女性たちが声をあげるのが第一歩です」

   最後に失礼ながら坂東さんに、「女子大学」の存在意義を尋ねた。これは「男女共学がスタンダード」という私自身の「無意識の偏見」から出た質問かもしれない。

   坂東さんは、すぐに朗らかな口調でこう答えた。

「あ、それは、はっきりしています。男女共学はフィクションの世界なんです。私が大学を卒業した時は、女性は入社試験さえ受けさせてもらえなかった。『大卒女子は採用しません』と公言する企業がほとんどで、唯一男女平等をうたっていたのが公務員でした」

   在学中は、「男女は平等」や、「能力さえあれば社会は評価してくれる」という「フィクション」を信じていた。

「女子大では、フィクションでなく、男性社会の中で生きていけるよう、現実を教えます。女性が自立して生きていくために必要な知識を共有し、乗り越える力を与える。それが女子大の使命です」

   インタビューを締めくくるにあたって坂東さんに、女性たちに贈るメッセージをお願いした。

「レッド・シーではなく、ブルー・オーシャンを探そう」

   それが答えだった。

   ちなみに「ブルー・オーシャン」とは経営学で使う言葉で、血で血を洗う既存の成熟した競合市場「レッド・シー(赤い海)」で戦うのではなく、競争のない未開拓の市場「ブルー・オーシャン」を切り拓け、という教えだという。

   男たちが足を引っ張り合う狭い世界に背を向けて、広大な未知の青い海原を目指せ。

   いかにも坂東さんらしい、爽快なメッセージだと思った。

ジャーナリスト 外岡秀俊




●外岡秀俊プロフィール
そとおか・ひでとし ジャーナリスト、北大公共政策大学院(HOPS)公共政策学研究センター上席研究員
1953年生まれ。東京大学法学部在学中に石川啄木をテーマにした『北帰行』(河出書房新社)で文藝賞を受賞。77年、朝日新聞社に入社、ニューヨーク特派員、編集委員、ヨーロッパ総局長などを経て、東京本社編集局長。同社を退職後は震災報道と沖縄報道を主な守備範囲として取材・執筆活動を展開。『地震と社会』『アジアへ』『傍観者からの手紙』(ともにみすず書房)『3・11複合被災』(岩波新書)、『震災と原発 国家の過ち』(朝日新書)などのジャーナリストとしての著書のほかに、中原清一郎のペンネームで小説『カノン』『人の昏れ方』(ともに河出書房新社)なども発表している。

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