森元総理にみる「無意識の思い込み」とは
キャンパスの話に続いて私がうかがおうと思ったのは、日本の政府や行政が、これまで男女格差是正の理念や方針を掲げながら、なぜ変われなかったのか、という点だった。坂東さんの答えは、やはり諸外国の変革のスピードが、遥かに日本を上回る、というものだった。
「国内にいる人は、女性がこんなに登用され、活躍しているじゃないか、と思うかもしれません。でも大半の外国では変化のスピードが速い。その差が、ジェンダー・ギャップの低迷に数字となって表れています」
03年に政府が「2020年までに、あらゆる分野で指導的地位の女性を30%にする」という目標を掲げたのは、坂東さんが内閣府男女共同参画局長だった時だ。当時、坂東さんは周囲から「そんな目標は達成できるはずがない」と言われたという。17年間経って、2020年時点でも目標の約半分。結局第5次基本計画で、目標の達成時期を先延ばしにすることになった。しかし坂東さんは、「たとえ無理でも、目標を掲げ、女性を登用する機運を醸成した意味はあったと思う」という。
では、なぜ女性登用は進まなかったのか。坂東さんは、第5次基本計画でも使われ、昨年3月のWEF報告でも指摘された「アンコンシャス・バイアス」という言葉を口にした。たとえば第5次基本計画は、この間に男女平等格差が是正されなかった原因を次のようにいう。
政治分野において立候補や議員活動と家庭生活との両立が困難なこと、人材育成の機会の不足、候補者や政治家に対するハラスメントが存在することなど(2)経済分野において女性の採用から管理職・役員へのパイプラインの構築が途上であること(3)社会全体において固定的な性別役割分担意識や無意識の思い込み(アンコンシャス・バイアス)が存在していることなどが考えられると総括できる。
ここにいう「無意識の思い込み」や「無意識の偏見」が、「アンコンシャス・バイアス」だ。これは当事者が意識していないだけに、気づくこと自体が難しく、他人に指摘されても、理解できないという「壁」を生む。
坂東さんはその例として、今年2月、東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長(83)が、女性蔑視発言をめぐって辞任した例をあげた。
森元総理は2月3日の日本オリンピック委員会(JOC)臨時評議員会で「女性がたくさん入っている理事会の会議は、時間がかかります」「女性っていうのは競争意識が強い。誰か1人が手をあげていうと、自分もいわなきゃいけないと思うんでしょうね。それでみんな発言されるんです」などと発言した。その場では問題にならなかったが、この発言が報じられると、国際オリンピック委員会(IOC)など海外から強い批判を浴び、辞任に追い込まれた。坂東さんはいう。
「女性という異分子、ニューカマーは、ルールをわきまえない人たち、という無意識の思い込みです。政治でも経済でも、これまでの合意形成のやり方になじまない人が入ってくることに居心地の悪さを感じ、新しい考え方を持ち込むことに抵抗感を覚える。今回の発言は、そうしたアンコンシャス・バイアスの典型なのではないでしょうか」
こうした無意識の思い込みは、女性の社会進出にとって様々な障壁をつくりだす。たとえば「最初の一歩」の経験を与えられなければ、女性はその仕事に適性があるのか、能力があるのかどうかも示すことができない。そうした機会を閉ざしておきながら、「女性の層が薄い」というのは「無意識の思い込み」だ。そうして、登用されていない、数が少ないという格差の「結果」から、女性一般の適性や能力に疑問符をつけるのは、ことごとく「無意識の偏見」だといってもいいだろう。
もちろん、「男社会」にも登用される数少ない女性はいる。だがそれは、必ずしも女性だから、という理由というより、男性優位社会のルールを「わきまえている」からと目される場合がある。これにしても、女性の進出が一般的になれば、問題にすらならない「偏見」といえるのかもしれない。
坂東さんは、こうした「無意識の思い込み」の根底には、日本全体のコンセンサス・システム、合意形成方式があるのではないか、と指摘する。
たとえば今回のコロナ禍対応でも、日本では外国よりも、強制や罰則に対する社会の反発は根強く、合意によって「同調」することを好む傾向がみられた。
これはコロナ禍に限らず、たとえば男女平等に対する「クオータ制」導入の議論でもみられた。半ば制度的に強制するのではなく、努力目標を定めて社会で合意を形成することをよしとする風潮が一般的だったという。
「クオータ制導入については、女性からの反発もありました。自分は女性だから登用されたのではなく、実力で認められた。そう思いたいのは、よくわかります。でも、思い切った改革をしなければ、無意識のバイアスを打ち破ることも難しい」
今回の森元首相の発言で、わずかの救いを感じたのは、その発言に対し、SNSで批判が相次ぎ、外国の批判が風圧となって辞任を余儀なくされたことだろう、と坂東さんはいう。
「外圧で変わるというのは、ちょっとまずいかもしれない。でも、以前は内輪の冗談としてナアナアで済まされたことが、こうして問題になること自体、以前とは『常識』が変わってきているのかもしれません。内向きの顔と、外向きの顔の使い分けが、もう難しくなったのではないか、という気がします」