外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(37)日本はなぜIT化に遅れてしまったのか 服部桂さんと考える

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「神」への反逆としてのテクノロジー

   前に触れたマービン・ミンスキーは90年、人工知能の基礎理論を確立した功績で日本国際賞を受けた。MITで彼の講義を受けたこともあった服部さんは、受賞についてミンスキーが漏らした感想が忘れられないという。

「なぜ日本人は、人工知能なんかに賞を出すんだろう」

   AI開発には様々な壁の前に研究が停滞した時期があり、当時は「第2次冬の時代」に差し掛かっていた。だがそれよりも、ミンスキーの反語的な質問には、米国でもAIの研究に対する理解が広がらないことへの嘆きが込められていた。

   キリスト教を基盤とする欧米では、神に代わって「神の似姿」としての人間に近い機械を目指すこと自体が、理解を超えていた。今現実味を帯びている「シンギュラリティ」以前に、そもそもAIは学問とは言えない、という風潮が一般的だった、と服部さんはいう。

   服部さんによると、かつてマクルーハンは「全てのニュースは生と死とセックス」といったことがある。ニュースから日付や登場人物の名前を削れば、基本的な関心事は「生」と「死」そしてその二つの合間に広がる現世の出来事に関するナラティブ(語り)でしかない、という意味だ。

「キリスト教的な欧州の文化は、神を中心としている。死は受容するしかない、というのが基本です。しかし、そうしたしがらみのない米国では、神や死を否認する人が多い。そうした人たちは、神に逆らい、神に代わることにもためらいがない。彼らにとって、テクノロジーとは、神に反逆するプロメテウスなのです」

   テクノロジーは、現世の利便性を求めることよりも、「生」と「死」の選択に直面するときに、飛躍的に進むことがある。端的な例が「戦争」だ。

   米国におけるコンピューターの実用化は、陸軍の弾道計算や原爆製造の「マンハッタン計画」と切り離せない。ロケット開発はミサイル開発と不可分だし、GPSも、もともとは軍事目的で開発された。冷戦時代の核攻撃に備え、インターネットは、情報経路を分散させて生き残る方法として生まれ、のちに商用化された。

「つまり、米国のテクノロジーは、生きるか死ぬかという設問に対する答えだった。ガラパゴス的な環境の下で、多様性を出すという日本の発想とは違います。日本はキャッチアップはできるが、そうした画期的なテクノロジーを生み出すという点では生態学的な限界がある。日本の得意分野は『生』と『死』が発する設問への答えではなく、『現世』でいかに便利で、効率よくするのか、という分野なのだと思う」

   服部さんに話を伺って、私は2000年正月の企画で、21世紀のIT・ロボット開発の行方を占う取材をし、日欧米の研究者を訪ねたことを思い出した。

   「鉄腕アトム」に親しんでロボット開発を目指す日本人研究者は、人の形をしたヒューマノイドを作ることに、全く抵抗がない。それに対し、ドイツやイタリアの研究者は、ヒューマノイドを忌避し、できるだけ人を連想させない家具や車に搭載するロボットを模索していた。これも、「神の似姿」としての人間に近い機械をつくることへのためらいだ。

   他方、米国で会った研究者は、やはりヒューマノイドを目指さず、気球型の監視装置や、ボール型、昆虫型のロボット開発を目指していた。それは、のちに現実のものとなる「非対称型の戦争」、つまり対テロ戦を念頭に置いたものだった。

   戦時中、軍需産業に資源を集中させた日本は、戦後は冷戦構造のもとで、米国から優先的に技術供与を受け、民生分野に特化して経済成長の道を歩んできた。だが繊維、自動車、半導体、コンピューターの分野で米国の優位性を脅かすようになると、米国はしばしば、躍起になって開発に圧力をかけようとしてきた。それは、21世紀になって急速に技術革新を重ねる現在の中国との「テクノロジー・通商摩擦」にも重なる部分があるだろう。

   服部さんの話をうかがって思ったのは、いたずらに外国のテクノロジーの模倣やキャッチアップを進めるのではなく、なぜ、どのような目標のために、技術開発を進めるのかという長期的な見取り図が必要だということだ。

   その場合に必要なことは、むやみにテクノロジー開発の分野を広げることではなく、戦後の日本にふさわしい価値観に基づき、どの民生部門に力を入れるべきか、環境や特性に見合った分野に資源を絞ることだろう。

   そうした目標の設定と再編がなければ、私たちは身の回りの便利なガジェットに目を奪われ、「あれも便利」「これも楽」という華やかな幻想に包まれたまま、「技術大国」からの果てしない転落の坂を転げ落ちることになるかもしれない。

ジャーナリスト 外岡秀俊




●外岡秀俊プロフィール
そとおか・ひでとし ジャーナリスト、北大公共政策大学院(HOPS)公共政策学研究センター上席研究員
1953年生まれ。東京大学法学部在学中に石川啄木をテーマにした『北帰行』(河出書房新社)で文藝賞を受賞。77年、朝日新聞社に入社、ニューヨーク特派員、編集委員、ヨーロッパ総局長などを経て、東京本社編集局長。同社を退職後は震災報道と沖縄報道を主な守備範囲として取材・執筆活動を展開。『地震と社会』『アジアへ』『傍観者からの手紙』(ともにみすず書房)『3・11複合被災』(岩波新書)、『震災と原発 国家の過ち』(朝日新書)などのジャーナリストとしての著書のほかに、中原清一郎のペンネームで小説『カノン』『人の昏れ方』(ともに河出書房新社)なども発表している。

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