秋田の友達「震災なければできなかった」
編入した高校で、クラスメートは温かく迎えてくれた。ただ、多感な時期に突然日常を奪われ、ゼロから人間関係を作らなければならない現実に、戸惑いもあった。福島の時と同じ剣道部に入部したが、インターハイを目指してけいこに励んでいた以前と比べて、新しい学校では「ちょっと違った」。同じモチベーションが保てず、歯がゆい。でも自分は「受け入れてもらう側」との考えが頭に残り、初めは素の自分をなかなか表現できなかった。
それでも2、3か月経った頃には生活に慣れ、友人も増えた。「今考えると、秋田の友達は震災がなければできなかった。出会えてよかったと思います」。一方で福島の友人とは「電話代がばかにならないほど」語り合い、古農さんの心の支えとなった。
大学も秋田で進学し、看護学科を卒業。卒業すると看護師として、福島市の病院に勤務した。現在は退職し、宮城県で映像関連の仕事に従事する。浪江には今年1月になって、ようやく墓参のために帰る機会を得た。「高校時代と比べて、道幅が狭く感じられました」。
現在、新型コロナウイルスにより大勢で集まる機会が持てない。震災で友人との別れを経験した古農さんは、「でも、オンラインで画面越しに会えます」と語る。10年前は電話で、声だけが頼りだった。それでも友人との会話にいやされた。今は直接でなくても、顔を見て話せる。「会えないのはつらいけど、今はルールを守って乗り切るしかない」と前を向く。