元のセリフはズタズタになっていた
脚本家人生のスタートでも苦労した。高倍率を突破し、初の女性脚本家として松竹に入社、注目されたが、映画製作は男性社会。「女に脚本は書けないと」と徹底的に冷遇される。ようやく自分の脚本が採用されたと思って試写を見に行ったら、元のセリフはズタズタ。監督や俳優が勝手に改ざんしていた。10年過ぎたころ、秘書部への異動を言い渡され、退社した。
結婚生活でも思わぬ苦難があった。夫婦仲はよかったが、墓は別々。亡夫は静岡にある自身の実家の墓で眠る。橋田さんは生前から、愛媛にある自分の実家の墓に入ると決めていた。インタビューでその理由を語っている。
「亡き姑から、『壽賀子はうちの墓にはいれない』とはっきり宣告されていたからです。最後まで嫁として認められていなかったのかと思うと、悲しくもあり、残念でもありますが、あの世でもややこしい姑とその親族からいじめられたくなかったから、むしろ渡りに船だったのかもしれませんね(笑い)」(「女性セブン」、2015年9月10日号)
両親を早く亡くして、独り暮らしが長かった橋田さん。
「結婚して家族というものが分かったんです。主人の実家に小じゅうとがいたりして。結婚したおかげで家族を知りました」(スポーツニッポン、2015年10月30日)