「この週末、テレビも、ラジオも、どこをつけても東日本大震災から10年です。(中略)被災者として取り上げられること、まして感動ポルノのネタにされること、誰ひとり嬉しく思ってもいないんですよ」
2021年3月7日、震災から10年が経つのを前に、宮城県・女川町に拠点を置く「OnagawaFM」の公式ツイッターはこうつぶやいた。投稿主は、OnagawaFMのプロデューサーを務める大嶋智博さん。東京のメディア業界に身を置く一方で、前身の「女川さいがいFM」の時代から、女川発のラジオ制作を支えてきた。
なぜ、こんなツイートをしたのか。大嶋さんに取材すると、被災地のラジオが東京のメディアと向き合った「苦悩の10年」が見えてきた。
「被災地における『タレントプロダクション』のようなものに」
「女川さいがいFM」(以下、さいがいFM)は震災直後の11年4月に設置された臨時災害放送局。津波により甚大な被害を受けた女川町において、避難所で集まった人々をスタッフ・パーソナリティーとして起用し、地元住民へ向けて情報を発信してきた。
NHKが「さいがいFM」を題材としたテレビドラマを制作するなど多くのメディアに取り上げられたが、16年に放送局としての役割を終える。その後は、女川町の委託を受けて町の魅力や復興状況を発信する「OnagawaFM」として、引き続き番組制作などを行っている。
「OnagawaFM」は町の支援によって運営が成り立っているが、さいがいFM時代は全国から集まった寄付を頼りにしていた。より多くの寄付を集めるためには、多くの人にFMの存在を知ってもらう必要がある。さいがいFMは取材依頼を積極的に受け、メディアへの露出を増やしていった。
番組に出演するパーソナリティーへの取材依頼も殺到した。こんな境遇の人はいないか。こんなテーマで語ってくれる人はいないか。メディアからの色々な要望に応えているうちに、「FMが被災地における『タレントプロダクション』のようなものになってしまった」と大嶋さんは語る。
特に取材依頼が多かったというのが、震災後に「女子高生アナウンサー」として活躍していた阿部真奈さんだ。阿部さんは津波で母と姪、祖父を失った。高校卒業後は東京の大学に進学。現在は福島県のテレビ局で記者として働いている。
「親を亡くした女子高生とかいないですか?」
家族を亡くしてもなお、被災地でアナウンサーとして頑張っている女子高生がいる。そんな「ストーリー」を持つ阿部さんを取り上げるため、被災地にやってくるマスコミが後を絶たなかった、と大嶋さんは振り返る。
2011年の夏。当時の女川の人たちは、まだ避難所生活を送っていた。
「避難所かFMに行けば、阿部さんを捕まえることができる」
阿部さんを待ち伏せして、直接話を聞こうとするメディア関係者もいたという。大嶋さんは、当時高校生だった阿部さんのプライバシーを守るために奔走。阿部さんに直接話を聞こうとするメディアには「まずは僕らに話を通してください」と口すっぱく要望してきた。
それでも、なかなか状況は改善されなかった。学校から帰る途中の阿部さんを、通学路で待ち構えるメディアもいた。「『あそこに行けば、前を向いて喋ってくれそうな人がいるんだ』と。彼らは努力をすることをせずに、うちに来ていた」。大嶋さんは振り返る。
ある日、強硬な取材手法をとるメディア関係者に痺れを切らしたという大嶋さん。叱責すると、こんな言葉が返ってきた。
「代わりになるような、親を亡くした女子高生とかいないですか?」
大嶋さんは「あなたたちには紹介しない」と突き返した。
「今年の3.11は何を予定されていますか?」
震災から10年が経った2021年。「コロナ禍の影響で長期取材が減り、『手短』な取材で済ませようとするメディアが増えた」と大嶋さんは語る。そんな中、在京メディアの姿勢に違和感を覚える出来事があったという。
「今年の3.11は何を予定されていますか?という電話が何本もかかってきました。びっくりしました。被災地では3月11日に合わせて、イベントか宴会をするものだと思っているのでしょう」
ラジオの「語り手」となってきた女川の人たちは、「3.11」をどう思っているのだろうか。宮城県のラジオ局「TBCラジオ」で21年3月21日に放送されたOnagawaFM制作の番組『佐藤敏郎のonagawa now! 大人のたまり場』(以下、onagawa now!)で、次のように語っている。
「重苦しく、大々的に思わなくてもいいのかなっていう風に思って。むしろ『そっとして欲しい』とか『そっとしていたい』みたいな」(元教師・佐藤敏郎さん)
「普段通りにしたいんですよ。東日本大震災の『あれから10年』っていうよりは、そこで亡くなった私の祖父の命日なわけですよ。それを粛々と偲ぶっていう日にしたい」(蒲鉾製造「高政」社長の高橋正樹さん)
大嶋さんも、「メディアから『取り上げたい』というリクエストがあるのは理解できるし、できる限り協力はします」と語る。それでも、東京と被災地の間に認識の「ギャップ」があることは拭えないという。
「3.11がイベントだと思っているのは東京の人たちだけ。被災地では、そうじゃないんですよ。だって、あれだけの人数が亡くなっているんですから」
メディアへの「感謝」も
こうしたメディアの存在に、FMのメンバーもストレスを感じるようになっていったと語る大嶋さん。一方で、長年継続して取材をしてくれるメディアや、被災者に寄り添った取材をしてくれるメディアも多いという。
「自分が必要なコメントとVTRだけ撮って帰ればいいという人もいますが、そういうこととは一切関係なしに、人として付き合い続けてくれる人たちがいっぱいいます。ちょっとした気遣いですが、震災から10年が経って、取材の現場から退いた人たちが、3.11に合わせて家にお花を送ってくれたりとか、お手紙を送ってくださったりとか。人間として向き合うべきことをやってらっしゃる方々もメディアにいるんだっていうのは、うちの子たちも学んだと思いますし、感謝もしています」
また、仙台に拠点を置くメディアの間では、被災地報道に関する「勉強会」を実施。番組に出演する佐藤敏郎さんがスピーカーとして参加し、若手記者などに「取材される被災者の気持ち」を伝えてきたという。
大嶋さんは、FMのメンバーにこんな言葉をかけてきた。
「同じ会社のバッジをつけていて、同じ会社の名刺を持ってくるかもしれない。でも同じだと思うとかわいそうだから。怒りたいこともあるだろうけど、そこは我慢しよう」
「震災10年」報道に対するメンバーの思い
2021年。メディア各社は「3.11」に合わせる形で、集中的に被災地報道を行った。FMのメンバーもテレビや新聞に出演し、「震災10年」を振り返った。3月21日の「onagawa now!」の放送では、メンバーが「震災10年報道」に対する思いを語っている。
「メディアに取り上げていただくのは決して悪いことではないと思っていて。ちょっとこれ違う言葉かな、って思うこともありますけど、それも含めてきっかけにしていただけたらと思うんですよね。実際に女川に来てもらったり、石巻を見てもらったりっていう風にも繋がるかもしれないし。自分の生活のことや命のことを見つめ直す、そのきっかけの入り口みたいになれたらな、という風に思っています」(元教師・佐藤敏郎さん)
「(震災から)10年目っていう無理くりな節目だったりとか、そういう印象を持たれた方が多かったのかなと思ったんですけど。でも、それも踏まえて、全部ひっくるめて『東日本大震災』なのかなって」(FMスタッフ・宮里彩佳さん)
「(取材で)『この10年どうでした』って必ず聞かれるんですけど、何かをやり遂げた感覚がなくて。10年経つと被災者とか被災地と呼ばれないようになる、そこが本当のスタート地点。だから、今この瞬間、このためのスタート地点を作る10年なんですよっていう。僕らは結構フレッシュなんですよ。さあこれからはじまるよっていう。僕らは前を見ているのに、メディアの方々は後ろ向きに過去を振り返ろうとしていて。だから全然話が合わない。11年目に取材に来るメディアは本物だと思います」(蒲鉾製造「高政」社長の高橋正樹さん)
(J-CASTニュース記者 佐藤庄之介)