「親を亡くした女子高生とかいないですか?」
家族を亡くしてもなお、被災地でアナウンサーとして頑張っている女子高生がいる。そんな「ストーリー」を持つ阿部さんを取り上げるため、被災地にやってくるマスコミが後を絶たなかった、と大嶋さんは振り返る。
2011年の夏。当時の女川の人たちは、まだ避難所生活を送っていた。
「避難所かFMに行けば、阿部さんを捕まえることができる」
阿部さんを待ち伏せして、直接話を聞こうとするメディア関係者もいたという。大嶋さんは、当時高校生だった阿部さんのプライバシーを守るために奔走。阿部さんに直接話を聞こうとするメディアには「まずは僕らに話を通してください」と口すっぱく要望してきた。
それでも、なかなか状況は改善されなかった。学校から帰る途中の阿部さんを、通学路で待ち構えるメディアもいた。「『あそこに行けば、前を向いて喋ってくれそうな人がいるんだ』と。彼らは努力をすることをせずに、うちに来ていた」。大嶋さんは振り返る。
ある日、強硬な取材手法をとるメディア関係者に痺れを切らしたという大嶋さん。叱責すると、こんな言葉が返ってきた。
「代わりになるような、親を亡くした女子高生とかいないですか?」
大嶋さんは「あなたたちには紹介しない」と突き返した。