「細々とでも、現地の言葉を伝え続ける」 震災10年で終わるつもりだった被災地発ラジオが、存続を決めた理由【#これから私は】

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「マスメディアを通じて伝わる女川の情報は...」

   当初は町内の情報環境整備が目的だった「さいがいFM」。だが、放送を続けていく中で「思わぬ副産物もあった」と大嶋さんは語る。震災後の女川町は、人口流出が深刻な問題となってきた。15年発表の国勢調査では、震災前の10年調査と比較して37%の人口が減少。これは、福島原発事故の影響で町の大部分が警戒区域に指定された福島県楢葉町に次ぐ、全国第2位の減少幅だった。

「女川さいがいFM」初代のプレハブスタジオ(大嶋智博さん提供)
「女川さいがいFM」初代のプレハブスタジオ(大嶋智博さん提供)

   様々な事情を抱え、町を離れることになった住民。そんな人たちにとっても「さいがいFM」の存在は大きな意味を持った。

「マスメディアを通じて伝わる女川の情報は『大きな項目』がほとんど。『女川はこんな天気だよ』『復興はここまで進んでいるよ』といった細かい情報を知ってもらえるメディアがありませんでした」

   「さいがいFM」では、インターネット上で番組を配信する「サイマル放送」やSNSなどを活用。そして13年には「さいがいFM」を舞台にしたNHKのテレビドラマ「ラジオ」が放送された。さいがいFMにスタッフとして参加した若者の姿を描いた作品で、同年度の文化庁芸術祭ではテレビ・ラジオ部門の大賞を受賞。現在も全国の教育機関で教材として使われている。

   こうして、元住民やボランティアで女川を訪れる人、女川町に関心を持つ人たちの間で、局の存在が広まっていくこととなった。

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