「平成の三四郎」古賀稔彦氏死去、53歳 取材した記者が触れた「気遣い」と「人柄」

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古賀氏は口癖のように「選手が主役ですから」

   2大会連続金メダルが期待された96年アトランタ五輪では78キロ級で銀メダルを獲得。その後、2000年シドニー五輪出場を目指すも願いかなわず現役を引退して指導者となった。

   記者は古賀氏の現役晩年あたりから取材するようになり、どちらかといえば古賀氏を選手としてではなく指導者として取材する機会の方が多かった。

   古賀氏が指導者になってから強化合宿などで取材しようとすると、古賀氏はきまって「選手が主役ですから」と言って自身は脇役に徹していた。古賀氏流の気遣いに人柄が現れていた。

   代表コーチに就任当初は選手との距離感がつかめず苦労したという話を聞いたが、04年アテネ五輪ではコーチとして指導した谷本歩実が女子63キロ級で金メダルを獲得。試合直後、谷本が古賀氏に抱きついて涙したシーンは日本中に感動を呼んだ。

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