三陸沖は、世界三大漁場のひとつとされる。サケやサンマ、ワカメ、ホタテにアワビといった魚介類の宝庫で、養殖も盛んだ。
東日本大震災で、三陸の漁業は大打撃を受けた。そこからわずかな期間で再開を決意し、10年かけて積み上げてきた漁業者がいる。コロナ禍の今を、どう乗り切ろうとしているのか。
漁師を「『やめよう』とは思わなかった」
平子昌彦さん(40)は25歳のとき、岩手県宮古市に来た。もともとホタテの養殖をしていたが、漁師だった義父に頼んで同じ道を志した。修行を続けていた2011年3月、東日本大震災で船や設備を全て失い、師匠である義父が津波で流されるつらい経験をした。
打ちひしがれ、漁師を諦めかけた。「まだ見習いなのに、師匠である義父がいなくなって、やっていけるだろうか」。悩みの中でがれきの撤去作業をしていたが、徐々に復旧工事が進む様子を見て、「今を逃したらもう戻れない。宮古に来たのは漁師になるためだ」と決意を固めた。家族と相談し、震災から半年で再び漁師へと歩み始めた。
大船渡市の千葉豪さん(38)は、ホタテとワカメの漁師だ。故郷・吉浜で漁業を継いで4年目で被災。持っていた船全部が津波にさらわれた。吉浜地区全体でも、大半の船が失われた。それでも「『やめよう』とは思わなかった」。
吉浜地区は住宅被害が4戸だったが、隣の地域には被災した人が避難所で過ごしていた。震災直後、そこに差し入れできればと刺し網漁で魚を取りに行った千葉さん。
「いっぺぇ、取れたんです。それで漁師の魂に火がついた」
吉浜の漁師仲間は以前から団結力が強かった。必要とされれば、海が荒れていても共に漁に向かう関係だった。「1人では無理でも、みんなと行くと安心感がある。震災後、60代、70代の先輩漁師を中心に『漁業を再開するぞ』とまとまったので、ついて行くことに迷いはありませんでした」