「日本モデル」とは何か
この検証作業が優れているのは、テーマと方法論が極めて明快であることだ。
統一テーマは「日本モデル」とは何かを明らかにし、その正体を見極めることだ。方法論は、各分野において効果があった「ベストプラクティス」と、失敗を通して浮かび上がる「課題」を明らかにし、最終的な「提言」を導くことだ。つまり、責任の所在を明らかにして政治・道義責任を追及するのではなく、有効な対応策と機能不全の原因を明らかにして今後に活かす、という方針に貫かれている。
それでは、テーマとなった「日本モデル」とは何か。
安倍晋三前首相は、昨年5月25日、緊急事態宣言を全国で解除するにあたって、「日本モデルの力を示した」と語った。麻生太郎財務相は「(他国とは)民度が違う」とまで言い放った。
報告ではこの「日本モデル」を次のように定義する。
「法的な強制力を伴う行動制限措置を採らず、クラスター対策による個別症例追跡と罰則を伴わない自粛要請と休業要請を中心とした行動変容策の組み合わせにより、感染拡大の抑止と経済ダメージ限定の両立を目指した日本政府のアプローチ」
つまり、平たく言えば、こうなる。
「日本モデル」の目的は、感染拡大の抑止と経済活動の打撃の極小化である。その手段としては、強制や罰則を使わず、「自粛」や「要請」といったお願いベースで行動変容を促し、その間にクラスター追跡で感染拡大を封じ込める。
つまり「ソフトロックダウン」と、「クラスター追跡」によるコロナ禍抑え込みといっていい。
周知のように、この検証作業を終えた昨年9月時点で、日本の感染者数、死者数は欧米諸国に比べきわめて低く、「日本ミステリー」という言葉すら使われた。アジアで比較すれば感染者数・死者数は必ずしも低くはないが、それでも強制措置を伴わずに抑え込みに成功した理由、つまり「ファクターX」を探る試みが活発化した。
結論を急げば、この検証報告が明らかにしたことは、「日本モデル」は、「モデル」と定式化できるような明瞭な対策の組み合わせではなく、「場当たり的な判断の積み重ね」でしかなかった。官邸中枢スタッフがヒアリングでいみじくも表現したように、「泥縄だったけど、結果オーライだった」のである。
報告書が「場当たり的な判断には再現性が保証されず、常に危うさが伴う」と指摘したように、その後の第2波感染時に、政府は経済浮揚策の「GoToキャンペーン」にこだわり、結果的に感染拡大を防げなかった。その現状は、報告書末尾に置かれた次のような「警告」を裏書きするものだ。
「同じ危機は、二度と同じようには起きない。しかし、形を変えて、危機は必ずまたやってくる。学ぶことを学ぶ責任が、私たちにはある」