なかにし礼さんが貫いた「3つの姿勢」
保阪正康の「不可視の視点」<特別編>(3)

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   昨年(2020年)12月末から、今年の1月までに、私は何人かの友人や知人を喪った。皆一様にあの戦争の内実を語り、二度と戦争はごめんだという言葉で自らの人生を総括していた。可視と不可視で近代日本史を見つめるこの連載とは別に、前回は作家の半藤一利さん(今年の1月12日に亡くなった)の、昭和史と向き合う姿勢の中に次代の者に継承してほしいとの願いがあることを記述してきた。

   今回は、作家で作詞家のなかにし礼さん(昨年12月23日に82歳で亡くなった)の、近代史へ対峙する構えを通して、私たちは学ばなければならない点が多いことを書いておきたいと思う。なかにしさんは、特に晩年は多くの価値ある言葉を残しているように思えるからだ。

  • なかにし礼さん。「偽満州国」が、結果的に反国民的な国家になったことを憤っていた(写真:Natsuki Sakai/アフロ)
    なかにし礼さん。「偽満州国」が、結果的に反国民的な国家になったことを憤っていた(写真:Natsuki Sakai/アフロ)
  • ノンフィクション作家の保阪正康さん
    ノンフィクション作家の保阪正康さん
  • なかにし礼さん。「偽満州国」が、結果的に反国民的な国家になったことを憤っていた(写真:Natsuki Sakai/アフロ)
  • ノンフィクション作家の保阪正康さん

「軍国主義化した国家は信用するな」

   私は、なかにしさんと深い会話を交わすようになったのは、晩年の10年ほどである。作詞家の顔については、詳しくは存じ上げないので深く触れることはできない。会話を交わすようになったのは、北海道新聞で1年に1回開かれるフォーラムだ。たまたま私は札幌出身でもあり、このフォーラムのパネリストを毎回務めていた。ある時、なかにしさんがゲストスピーカーで、シンポジウムにも出席してもらうために、北海道新聞の関係者となかにしさんと会食の席をもった。その折に、がんとの戦い、戦争体験(旧満洲からの引き揚げ体験)、さらには昨今の憲法の骨抜きなどへの強い不満の声を聞いて、私も共鳴するところが多く、そのような話をぜひ北海道の読者に聞かせるべきだと説いた。

   なかにしさんは、忙しいスケジュールの合間を縫って、このシンポジウムに出席してくれたのだが、その前後にも何度か話し合いの機会をもった。加えてある週刊誌に、私は連載を続けていたのだが、なかにしさんも連載を書いていた。その担当者が同じ編集者だったために、その後もメッセージの交換が続いていた。なかにしさんの代表作『赤い月』が文庫になる時に解説を頼まれて書いたこともあった。

   こうした交流を経て、私はなかにしさんの、時代に向き合う構えには、次の3つがあることを知った。戦後民主主義世代のまさに骨格足りうるものでもあった。むろんこれは私の目から見てということでもある。

1、軍国主義化した国家は信用するな
2、自らの人生は自らが責任を持て
3、歴史を見る目は常に冷静であれ
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