ノムさん「エラーをしても名を残せたのは名誉」
――実力勝負の世界で結果がついてくるとは限らない。北京五輪でのエラーもその一つではないかと思います。
今でも悔しいですよ。やり返せるならもう一回オリンピックに出てやり直したい。G.G.佐藤といえばあのフライの失敗が代名詞ですよね。それはもう否定しようがない野球人生唯一の後悔だけど、過去に起きてしまったことだから取り消せないです。
でも去年、野村克也さんが亡くなる直前にたまたまTVの撮影でご一緒する機会があって、「お前はエラーをしてしまったけど、名を残せたというのはすごく名誉なことだから、それを活かしてこれからも一生懸命頑張りなさい」と言われたので、吹っ切れた気もしました。
――野村さんとは少年野球時代にご縁があったと聞きます。
僕が所属していた少年野球チーム「港東ムース」は沙知代さんがオーナーで、G.G.佐藤の名前も沙知代さんのアイデアです。野村さんにも指導していただいて、僕にとっての恩師は野村さんなんです。
――そして引退後はトラバースに就職、今まで勤務されています。
ロッテを戦力外になって、今後どうしようかな、と考えた時、今まで野球を自由にやらせてくれた父親(トラバース代表取締役社長・佐藤克彦さん)に恩返しがしたいと考え、父が創業した、一番大事にしているこの会社を守りたいな、と考えました。
別に頼まれたわけでは全くないです。「あなたは野球の世界で生きてきて、これからもやりたいことがあるのだったら自由に生きていい」と引退後も言われていました。だから改めてアポを取って社長である父親に挨拶して、筋を通して入社しましたね。